夏にはカヌーしたり泳いだりした湖が、連日の寒さで凍っている。ホッケーしてる子どもの横をクロスカントリースキーでお散歩した。 

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私達の家は小高い山の中ほどにある。山道をずっと登っていくと、頂上にはパラグライダーランチがあり、未舗装の林道の両脇の森の中には無数のトレイルが網の目のように走っている。マウンテンバイク、ハイキング、乗馬、モトクロスとアウトドアスポーツを楽しむ人々を惹きつける場所だ。途中には二つの湖があり、至近距離にも関わらず個性があり、釣り、カヌー、水遊び、冬はスケートやアイスフィッシングを楽しめる。もちろん野生動物にとっては快適なすみか。黒熊やコヨーテ、ワシ、フクロウ、森の深さの証として光栄ではあるが、会いたくはないクーガー…。

今だからこそアウトドアスポーツのメッカではあるが、ファーストネーションの村、マウントカーリーのすぐ裏手にあるこの山は、かつては狩猟と採取の山であった。

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私の家の裏は鹿達のハイウェイ。裏山を散歩する時は鹿の作った獣道を探して歩くと歩きやすい。秋には松茸も取れるこの道を、狩人や、松茸狩り、ベリー詰みの人々が歩いたに違いない。

森の幼稚園で働いていた時の同僚はマウントカーリーから来ていた。ひと昔前なら間違いなく戦士として抜擢されていただろうという巨体と風格を兼ね備えた彼は、祖父母に育てられたために色々な物語を知っていた。彼がいうにはマウントカーリーを取り囲む山々は家族ごとの持ち場になっていたらしい。裏山である我が家は間違いなく誰かの食料庫であっただろう。

数年前の夏、日本から遊びにきた友人のリクエストで、観光地には行かずにひたすらマウントカーリーを散歩して歩いた事がある。はるばるカナダまで来たのに我が家周辺をうろつくだけで良いのかな?と思ったがこれが面白かった。

素晴らしかったのが、ガイドである。マウントカーリーに嫁いだ日本人の友達の中学生の息子に案内を頼んだ。彼はもう既に、ファーストネーションとしての誇りに溢れる生き方をしている。常日頃から、ヘッドバンドにイーグルの羽を刺し、自分で作った弓矢を持ち歩き、黒曜石の矢尻を彫って文化センターの土産物屋に作品を売っている。

まず案内してもらったのは我が家の向かいに見える山。昔の人が岩に彫ったペトログラフが見れるという。連れて行ってもらって驚いたのは、ペトログラフの彫られた岩のすぐ下を私達はよくマウンテンバイクで通り過ぎていたのだ。それは母親とへその緒で繋がった赤ちゃんの絵だった。正面には雄大なカーリー山、すぐ下に広がるマウントカーリー村。これを描いたのはこれから母親になる女性だったかも知れない。不安や期待、色んな思いでこれを描いたのだろう。しかし、どうやってこんなに力強い線を石に彫り込んだのか?指でたどりながら想いを馳せた。

彼はその後、川沿いにある冬の家、イシカン跡地にも連れて行ってくれた。そこは私達が何度も鮭釣りに来ていた場所だった。言われなければ、森の中にいくつかある窪みが居住地跡とはまるでわからない。

彼は川岸のそばでふと、「いつだったかここで黒曜石の矢尻を見つけたんだよ。川の方を見ていたら、ここに座って、矢尻をつくってる人のイメージが浮かんだんだ。そしてふと岸に目を落としたらそれが落ちていた。」と言った。

彼はその瞬間次元を超えたのかも知れない。そして、その日私も自分の次元が広がるのを感じだ。何気なく見ていた近所を、そこにかつて住んでいた人々の息遣いとともに見るようになった時、目の前の景色が急に奥行きを持った。どこか遠くに行くわけでもなく、自分の住む土地を知ることが、こんなにエキサイティングな事だとは!

そしてこの土地を愛し、手入れをし、季節とともに関わってきたご先祖達が、彼らの先祖というだけでなく、私達の土地の先祖として、まるで自分の先祖であるかのような近さを感じるようになった。

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ファーストネーションの人達の祈りの言葉だ。まさに、私がこの土地に住む限り、私は彼らの祖先が慈しんできた自然の恩恵をうけて生活する。そう。"私に関わる全てに感謝"して。