ファーストネーションの人々は狩猟採集によって暮らしを営んできた。海沿いに住む人々は、漁をして貝を拾い、一年中豊かな海の恵みを享受できた。内陸に住む人々は森の動物を狩するだけでなく、毎年同じ頃に海から上がってくる鮭を獲り、伝統的な保存方法によって冬の食料も確保した。数十年前までは鮭は川を埋め尽くし、その上を歩けるほどだったという。食料が充分確保されてうまれた余剰時間、彼らは自然の力や美を曲線の中に留める高い芸術性を、暮らしの中にほどこしていった。


海や川は食べ物を与えてくれる場であり、水に沿って生きる他の部族との交流がある場。

道路と同じくらい水路に密着していた彼らの生活に、カヌーはなくてはならない重要な存在であったに違いない。


ティペラは内陸にあるとはいえ、今でも人々は海から上がってくる鮭を心待ちにしているし、親戚の多くは川を辿って海に出るあたりに住んでいたりする。私より少し年上の友人は若い時は丸木のカヌーに篝火を付け、夜中の鮭漁に使ったり、今はハイウェイ横の住宅地になった近所の沼地をパドルの代わりにポールをさしてカヌーで移動に使用してそうだ。それでも今の彼らの生活にカヌーは見当たらない。


村役場前に置いてあった競技用大型カヌーを水に浮かべて子ども達を乗せたいという私の思いと、海に連れ出したいという思いがフィールドトリップの企画となり、さらには予定していたホエールウォッチングボートが壊れてキャンセルになり、想いの発端であった大型カヌーに乗る事になった。ティペラ保育園初の一泊フィールドトリップ は、海で遊んだ翌日に、バンクーバーのファーストネイションが運営する伝統的大型カヌーツアーに参加者全員で乗る。という筋書きになった。


カヌーに乗る日、朝食後、ワクワクしすぎて現地に下見に行った。集合場所の森は大きな木々が鬱蒼と茂り、合間からは海が見える。こんなにも心地よい森がバンクーバーのダウンタウン近くにある事に驚いた。


私だけではなく参加者みんなワクワクしていたからか、私達のグループはツアーガイドさんの到着前に30分前行動で全員集合場所に集まっていた。


前日に2家族キャンセルで参加者が35人から24人に減っていた。さらに、カヌーに乗る直前にもうすぐ4歳になる女の子が鼻血が止まらなくなりキャンセル。もう一人10代の女の子もキャンセルし、結局我々のグループは20人になった。4歳の子はボートに人が乗っている絵を描いて楽しみにしていたのに残念だ。


ツアーマネージャーはカヌーを2台準備したものの、この人数なら一台にした方が良いとの決断。子ども達を間に挟んで両脇に大人がカヌーパドルを持ち、一台のカヌーに20人とガイドさん4人がぎゅうぎゅうに乗り込むことになった。カヌーに乗る前、みんなで円になり、ドラムと歌の歓迎で始まった。その後一人一人パドルを手に漕ぎ方を習い、いざ海の上に。先程ドラムソングで歓迎してくれたおじさんが、乗る前にカヌーに自己紹介するのが習わしだと言った。カヌーにもスピリットがある。日本の八百万の神に通じる精神性だ。

カヌーパドルの前面には狼の絵が描いてあり、岸に向かう時に狼の絵の側を見せる事で、仲間と認識してもらい、攻撃を防ぐのだという。

私は子ども達と、その兄弟、親、そして同僚で集落のエルダーであるカールさんやフランさん達と一緒にギュウギュウにカヌーに乗っているのがなんだか嬉しかった。漕ぎ出すと、先ほどのおじさんがまたドラムソングを歌い出した。ドラムを叩くと船が浮いて軽くなるんだそうだ。


参加者全員で、この経験を、瞬間を共有出来る事に私はただただ感動していた。図らずもどんどん人数が減って、一台のカヌーにみんなで乗ることになった。もはや1人分の隙もない。


カヌーを漕いで疲れてくる頃に、先頭のドラムのおじさんが、彼らの部族の物語を話してくれる。カヌーを漕ぎ出した集合場所の公園は、かつてたくさんの集落があったが、今は貝塚がその生活の跡を残すばかりだという。


バンクーバーの街中にある入り江であるが、対岸は緑の山で、カヌーの行く先にはアザラシがひょっこりと顔を出している。海風が気持ちよく私達の間を通り抜けていく。

直前で体調を崩してカヌーに乗らなかった、カールさんの孫娘の1人が、おじいちゃんの歌声を聴いて写真を撮ろうと丘に駆けつけて撮ってくれた一枚

いつの間にかドラムはカールさんの手に渡り、いつも保育園で聞き慣れているスタトリアムネイションのドラムソングに合わせてパドルを漕ぐ。日差しは強いが、顔にあたる風が気持ちよくて気持ちよくて、みんなとカヌーの上にいる事が嬉しくてしょうがなかった。


ぐるっと小さな島を一周して、スタートした公園に帰ってくるまでに、ドラムは若いガイドの男の子の手に渡り、カールさんの二十歳の孫娘に渡り、その後子どものお父さんに渡った。残りのみんなも一緒に口ずさむのだが、ドラムソングをリード出来るというのはとても重要である。文化を継承している証ともいえる。


カヌーを降りて、帰路につくみんなを見送りながら心がとても満たされているのを感じた。みんなの顔からも同じ気持ちを感じられた。カールさんの孫娘は、行けなくなった家族の人数の埋め合わせで招待したのだが、そのお礼を言いに来てくれた。今回初めてドラムソングをリードしたのだと嬉しそうに言った。カヌーツアーの間、カールさんとフランさんは彼女が作ったシーダーの木肌で編んだ伝統的な帽子を被っていた。カヌーの上ではドラムソングも、美しい狼の絵柄が施されたパドルも、シーダーハットも、彫像品ではなく生きていた。


ティペラへの長い帰路に着いたみんなを見送った後、1人で車を運転しながら今回のフィールドトリップを振り返っていた。どの瞬間も子ども達の嬉しそうな顔があり楽しかったなあ。でもハイライトは…と考えていたら、カヌーの上で顔に風を受けている時だった。どうしたってその瞬間が一番嬉しい瞬間だった。

フト、その瞬間のために私はこの大掛かりな企画をしたんじゃないかと思った。そう思ったら思いもかけず私の魂が泣き出した。嗚咽をあげて泣き出した。

風を切って、みんなとカヌーに乗るために、私は生まれてきたんだとさえ思った。


慌ただしくて気がついていないだけで、実は日々の一瞬一瞬がそれくらい貴重な瞬間なんだろうな。