人新世の「資本論」(齋藤幸平)、面白かった。最近読んだ本の中でも抜群に刺激的で2日で読了してしまった。

「人類の経済活動が地球を破壊する「人新世(ひとしんせい)」=環境危機の時代。気候変動を放置すれば、この社会は野蛮状態に陥るだろう。それを阻止するためには資本主義の際限なき利潤追求を止めなければならないが、資本主義を捨てた文明に繁栄などありうるのか。
いや、危機の解決策はある。ヒントは、著者が発掘した晩期マルクスの思想の中に眠っていた。世界的に注目を浴びる俊英が、豊かな未来社会への道筋を具体的に描き出す。」
(表紙裏の内容紹介)

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Takramのポッドキャストで、渡邉さんと齋藤さんの対談を聞き、その日に書店で購入、読み始めた。

https://open.spotify.com/episode/4MBNLjy2G05I13bByTymVS?si=qbUsaRLMSXyoMO_NHLqX8A

なにしろ、語り口が痛快。「SDGsは大衆のアヘンである。」という一句から始まり、昨今の気候変動対策に関する経済学者達の理論や各国のグリーンニューディール的政策をバサバサ斬っていく。その鋭い刃は、「脱成長とコミュニズム」という概念。
本書の最大の主張をざっくりまとめると、「資本主義と経済成長は切り離せない。経済成長を追求すれば、気候変動を止めることは出来ない。したがって、成長を止めること(脱成長)、資本主義ではない体制(コミュニズム)を選択する必要がある。」
関連するデータを分析した上で、既成概念に囚われない提案をしていく様子は、ユヴァル・ノア・ハラリ「サピエンス全史」「ホモ・デウス」に似たブレイクスルー感がある。また、齋藤さんが30代前半と若いのも素晴らしい。

思い起こせば、「エンデの遺言」(河邑 厚徳)「社会的共通資本」(宇沢弘文)、「創造的福祉社会」(広井良典)、「ビジネスの未来」(山口周)などで度々触れられているポスト資本主義。経済成長は無限に求めるが、成長に必要な資源は有限。地球環境の許容能力にも限度がある。
その時、資本主義は存続できるのか。ここに根本的なジレンマがある。

齋藤さんが指摘するように、ポスト資本主義を構想する際の議論は、知識人やSDGsも含め、「資本主義を前提としている」。
資本主義に立脚した上で、社会資本主義的な定常社会や文化創造社会を理想的に論じているが、それでは2100年までに気温上昇を2℃未満に抑えることは出来ないと言い切る。確かに現在もCO2排出量は増え続け、既に1℃上昇している。

https://www.alterna.co.jp/28634/

また、エネルギーインフラの再エネ転換についても、燃料転換でCO2削減は出来るが、インフラの生産と消費によってCO2は排出され続ける。
一方で、レアメタル、シリコン、コバルトなどの資源はますます希少化する。インフラのIOT化、デジタル化が進行しても、躯体の製造には資源が使われ、データセンターの維持には膨大な電力が必要となる。その電力を賄うために、再エネ電源を増強しなければならない。

衝撃的なデータは、電気自動車とCO2排出量の関係。
「IEA(国際エネルギー機関)によれば、2040年までに、電気自動車は現在の200万台から、2億8000万台にまで伸びるという。ところが、それで削減される世界の二酸化炭素排出量は、わずか1%と推計されているのだ。
なぜだろうか?そもそも、電気自動車に代えたところで、二酸化炭素排出量は大して減らない。バッテリーの大型化によって、製造工程で発生する二酸化炭素はますます増えていくからだ。」
これは重要な視点だと思う。再生可能エネルギーへ転換することは前提だが、もっと大事なのは、「エネルギーを効率よく使う(省エネ)。さらには、なるべく使わない(減エネ)。」ということだ。

バイオマスエネルギーの導入に関わっていると、バイオマスボイラー等のインフラ導入が目的になりがちだが、本来、使うエネルギーの総量を減らすことが大前提にある。その上で、設備効率の向上や断熱などの省エネがあり、最後にバイオマスによる化石燃料代替となる。単純に化石燃料をバイオマスに置き換えればいいわけじゃない。

困ったことに、再生可能エネルギー導入は世界規模で進行しているが、化石燃料の消費量は減っていない。「再生可能エネルギーが化石燃料の代替物として消費されているのではなく、経済成長によるエネルギー需要増大を補う形で、追加的に消費されているのだ」(p.76)

この点に違和感を感じてきた。それは、導入対象となる施設があると、数量を求めたくなる傾向だ。つまり、バイオマスボイラーや小型ガス化発電などの機器をなるべく多くの場所へ導入したくなる。それによって、化石燃料の代替は進み、CO2削減は達成できる。ボイラー等のバイオマス機器や技術も普及する。メーカーも存続できる。ただし・・・。その延長には、先ほどのEVと同様の結論がある。製造して、販売して、大量に導入できれば、それで良いのか。そもそも、導入しようとしている施設は本当にインフラとして必要なのか?その熱は有効に使われているのか?そうした議論はほとんど行われない。

そこで、「破局につながる経済成長ではなく、経済のスケールダウンとスローダウンなのである。」p.95 という主張を考えざるを得ない。
今までと同様かそれ以上の水準を求めて、モノを買い、捨てて、また買うサイクルを続ける限り、効率化や燃料代替は進んでも、気候変動や社会的公正などの根本的な解決に果たして繋がるのか?ただでさえ、グローバルサウスがあることで、先進国の帝国主義的文化が成立している。抑圧されたサウスがある限り、世界的には常に政治不安やテロ、難民、移民などの火種を抱え続けることになる。

「いらない」「使わない」という決断と選択を生活に取り入れつつ、そこに、どのような暮らしの「豊かさ」があるのか、「豊かさ」の定義そのものも含めて再考する必要があると思う。どうでしょう?

コミュニズムについては、また今度、考えてみよう。