年齢的に産めなくなる前に、もう一度お産がしたい。そんな思いから5年振り、第5子を妊娠。
 子ども好きでもなかった(どちらかと言うと苦手だった)私が、産めるのなら産みたい。そう思うのは、今までのお産がどれも幸せだったから。お産が楽しかったから。
 何となく自然なお産を…と成り行きで助産院を選択。第2子が年子だった事から、入院せず子どもと過ごせるように…と自宅出産を選択。
 助産院でのお産も然る事ながら、自宅でのお産があまりにも幸せに満ちていたため、第3子、第4子、迷わず自宅出産を選びました。
 私にとってお産とは…新たな命、すなわち新たな家族を皆で迎え入れること。母親だけの赤ちゃんではなく、両親だけの赤ちゃんでもなく、家族の赤ちゃん。
 口下手な私が伝えられる子ども達への『愛』でもあります。どんなに苦しくても、辛くても、ひとつの命の為、必死に産み落とす。皆も、こうやって産まれてきた大切な命なんだよ…と。(口下手故に伝わっているか不明ですが(笑))
 自宅出産の1番の魅力は日常の中に『お産』があることです。赤ちゃんが産まれるからと離れ離れで過ごし、病院から帰ってきていきなり現れた赤ちゃんを貴方の兄弟よ、と。理解出来る年齢ならまだしも、幼い子供にはちょっとしたショックになる??とは私の持論。


 命の始まりと終わりがあまりにも日常から遠い気がする現代。親のエゴかもしれませんが、せめて始まりだけでも感じて欲しい。
 幸せなのは、お産の後日常が続く事。ガンバレガンバレと応援し、産まれた感動を一頻り味わった後、普通に遊び始める子供の姿とか、さっきまで居なかった赤ちゃんを間に、皆で川の字でお休みなさいと就寝する事。


 前置きが長くなりましたが、横浜から山梨道志村へ移住をして半年程だった当時、そんなお産をもう一度♪と意気揚々と産院を探しました。
 今まで東京、横浜と比較的都市部で生活をしてきて、全く考えもしなかったのですが…助産院、更には自宅出産は一般的では無いという事実。僻地では出産に選択肢が無いという現状。愕然としました。
 助産院なら何処でも取り扱っていると思っていた為、何の迷いもなく近くの助産師さんに連絡を入れました。自宅出産は取り扱っておらず、保留にとの返答にびっくり。直ぐ他の産院を検索。すると、県内には車で2時間以上かかる場所にしか助産院が無い。1番近い神奈川県の助産院へ連絡をとるもやはり自宅出産はやっていない。東京まで手を伸ばそうと検索して更にショックだったのは閉院している助産院が多いこと。
 何故、自分の産み方を選べないのか…当時は本当にショックでした。
 移住したこの場所が好きで、ここが今の生活の拠点、どうにか村で自宅出産をしたい。山梨でも、産み方を選べるようにしたい。そんな思いからぎりぎりまで最寄りの助産師さんに頼み込み、ダメな場合の為に隣県相模原市の助産院へ産院での立ち合い出産を予約し、それでも溶連菌が出た場合は病院での出産になるとの事で、幸い横浜に自宅があった為最後の選択肢として今までお世話になっていた横浜の助産院に里帰り出産を予約。
 どうにかここで…と横浜へ転院する32週リミットぎりぎりまで無理を言って粘りました。緊急時の搬送先が見つからず自宅出産はほぼ諦めていた為、生活拠点はこのままに隣県の産院にて産むことに傾いていた時。コロナの影響で他県からの受入が出来ないと連絡が入りました。

 医療(?)無介入でのお産は求めていなかった為、絶望。私、産めないの?と路頭に迷いそうになったころ、横浜の助産院で受入が出来ると里帰りでの自宅出産に切り替えました。
 とは言え心の切り替えにだいぶかかり、更に里帰りと言うハードル。当時、小学校高学年を筆頭に小学生が3人、里帰りで約1ヶ月休ませてずっと一緒に居ることも出来ず、だからと言って直前まで山梨に居ることも出来ず、離れ離れでのお産では意味が無い。
 結局、ゴールデンウィークを利用して横浜へ大移動。37週に当たるためもう出て来て良いよと必死に歩き、言い聞かせ…。しかし今までも予定日に忠実だった私の体はゴーサインを出さず。また子供たちを道志の自宅へ送り出す。万が一お産になれば困るからと私と下の子達は横浜に居残り。

…と安静を決め込むこと数日。新月が近づきいよいよかもしれないと子どもを呼び寄せる。早く村へ帰りたい焦りと、平日には学校へ行かせなければと思うイライラからか、思うように陣痛が来ない。
 何となく来そうなのに…と思いつつまた子供たちを村へ帰す日が来てしまう。驚く事に精神的なものか、子どもが帰ると、下りていた赤ちゃんがまた胃を圧迫する程に上がってしまう。呼び寄せたりまた戻したり、少なからずストレスを受けているだろう子供たちを前に、一緒に産みたいと思うのは私だけ?私のエゴなの??と悩み、ただ一緒に産みたいだけなのに…と涙。


 そんなやさぐれた気持ちで日々を過ごし、『お産は一生のうちのほんの一瞬、満足の行くお産をせずしてどうするの。次は出て来てくれるまで休ませて一緒に居よう』と心が決まった週末。
 土曜日、夜中に前駆陣痛。陣痛さんを呼びながら、日曜日は朝から子どもと近所の公園へ。お昼を食べ、今日出て来るよとみんなに告知。その後子供たちは近くの水辺でザリガニ釣り。私はシャワーを浴びて、布団を敷き、産着を支度。
(自宅出産での利点の一つはここ。陣痛が始まっても、慌てて車の手配や入院の支度をする必要がなく、ただだた陣痛に向きあえば良い。あとは助産師さんを待つだけ!贅沢!)


 さてさて産まれるよ。いよいよ陣痛が始まると…私は助産師さんを呼び、主人は子供たちを呼び、わさわさとその時が近づく。私が陣痛に呻く中、悠長にアイスを買い食いしていた子供はダッシュで帰宅。手を洗って~とか、シャワー浴びよ~とか、いつもの風景。その中で呻く私。高学年の長男は次男を連れて2階の子ども部屋に上がってしまう。前回、陣痛に呻く私を見て、もう(産むの)やめようよとべそをかいていた長女は、私の背中をさすり、直前まで大丈夫?私が守ってあげるから!と言っていた5歳の次女は怖いとべそをかく(笑)しまいには男子達のもとに避難。
 でも、いよいよ出て来る!とその時。あっという間に全員集合。

どうかな?と思っていた長男もしっかり集合。皆で見届けるお産、この瞬間が本当に本当に幸せ。男の子?女の子?皆で顔を近付け、小さいね~、ハゲてる!と口々に感想を言う。


 10ヶ月、この瞬間の為に歩き、自分を見つめ直し、体づくりをしてきた。本当に愛おしい。
 子供たちも、本当に可愛がってくれる。新しい命が、また家族の絆を深めてくれる。
 お産って、簡単に手に入れられるものでは無いから、嫌な思い出にはして欲しくない。もう二度と産みたくない、そんな言葉を出来れば聴きたくない。自宅出産だけではなくどんなお産でも素晴らしいもの。お腹の中で、一つの命を育てるのだから!でも、自分のお産、自分で納得の行くお産を選び、産む。病院でのお産も勿論必要だし、ご飯の美味しい病院、景色の良い病院、そんな選択肢があっても良いと思う。
けれど、その中に自宅での出産も含まれるようになったら良いなと思います。お薦めなので(笑)

以上、お産から丸一年。私のお産の備忘録。