「中村天風」すげえな〜と思ってから、10年くらい経ちました。
懐かしい。学生時代にバイトをしていたお店の事務所に店長の本棚がありましてね、
そこにあったんですよ。
でも、当時19歳の僕には内容はさっぱり理解出来ませんでした。難し過ぎて。
でも、尊敬する店長が好きな本だし、何より松下幸之助をはじめ、時の総理大臣とか数々の実業家が師事していることは知っていたので、
「いつか自分も中村天風の本を理解出来るようになってやる!」
って思っていました。
あれからいろんな人の書いた本を読んでいますが、あ、この人も中村天風に影響を受けたんだ!へぇ〜って思う機会が多々ありました。
今では僕の精神も大人になり、少しは理解出来るようになりました。
というか、今では変になった自分の価値観を、
中村天風の教えと照らし合わせて「やっぱり、そうなんだね」って確認しているのです。
僕が中村天風という人の存在を知った頃は、自分が10年後に死ぬかもしれない病気に倒れるとは全く考えてませんでした。
無敵の軍人だった中村天風も、肺結核を患って死の淵にたっていました。
最後の望みをかけ、治療法を探す旅にでて、自らもコロンビア大学で医学を学び、
世界中の医者や有識者に治療法を訪ねてまわりましたが、誰も治療法はわからなかったんです。
不治の病だったのですね。かつては非常に心が強かった中村天風も、ついには落胆し、もうダメだと弱気になっていました。
そして最後はやはり日本で死にたいと、カイロから帰路につこうとしていた時、
インドのヨガの聖者であるカリアッパ師と出会うわけです。確か旅の宿で。
カリアッパ師は中村天風をひと目見て
「おまえは東洋人か?見たところ、おまえさんは重い胸の病気のようだな。」
驚いた中村天風は「どうしてわかるんですか?」
カリアッパ師「インスピレーション」と言いました。
中村天風「!!」
カリアッパ師「これからどこに行こうとしているのだ?」
中村天風「日本へ帰ります」
カリアッパ師「そんな体で帰国するのか?自分の墓の穴を堀りにいくようなものだぞ」
中村天風「その覚悟は出来ています。もうやるだけのことは全てやったんです…」
カリアッパ師「おまえはやるだけのことはやったと言ったが本当か?
おまえはたった1つ、大事なことをやっていない。助かる方法を教えよう。ついて来なさい」
と言われて「ついていきます」と答えた中村天風。
あんた誰?どこにいくの?とか一切聞かなかったんですって。
ただ、病が治ると言ってくれた事がめちゃくちゃ嬉しかったと。
さんざん、これまで不治の病だと言われ続けていたのに、最後の最後に再び希望を持つことが出来たわけですね。
そこから3ヶ月移動して、ヒマラヤに着いたと思ったら、スードラ(奴隷)の身分になっちゃったそうな。
家畜よりも下の階級だったそうです。
そのまま家畜以下の生活を2ヶ月も続けていて、いよいよ我慢の限界に達して、カリアッパ師に直談判したと。
「いつになったら、教えてくれるんですか?」
するとカリアッパ師
「私はここに来た日の翌日からでも教える準備は出来ていたが、おまえはまだ出来ていないようだ」と。
さらに「器を持ってきて水を入れてみなさい」と言いました。確か。
次に「もう1つ器をもってきてお湯を入れてみなさい。そして、お湯を最初の器に入れてみなさい」と。
そう言われた中村天風は
「いや、しかしですね。あふれますよ。私はあなた達と違い文明人ですから、そのくらいわかりますよ」と言いました。
カリアッパ師は
「そこまでわかっているのなら、心を空にして、明日また来なさい。今のおまえにはいくら教えても、あふれてしまうのだよ」と言ったそう。
なるほど、そういうことかと察した中村天風は、
言われたとおりに、全ての固定観念を捨ててカリアッパ師のもとに参上したわけです。
そこから、ヨガの修行が始まるわけです。
そして不治の病だと言われていた肺結核を完全に治癒してしまう。
めちゃくちゃ面白いですよ。
僕は若い頃、中村天風という人の存在を知る事が出来て良かった。
そして、今でも尊敬する店長のすすめがあったからこそ、僕は諦めずに理解しようと努めることが出来ました。
本当に感謝しています。
もし無人島に1冊だけ、本を持っていけるとしたら、
僕は中村天風の本を持ち込むでしょう。そして一生をかけて理解しようとすると思います。
中村天風の教えについては、また、そのうち書きます。
中村天風の本とか天風会の本は、難しくてなかなか理解出来ません。
だから、最初はマンガがおすすめ。
中村天風が悟るところまでのお話がマンガになってます。4冊。
でも今は定価では買えないかな。
ありがとうございました!
