家は数えてみたら25軒。村役場の他に、小学校と保育園が併設された建物、給油機のノズルが2つある小さなガスステーションとそばにある小さな売店が一つ。

ここの子どもたちは、なんというか昔の子どもなのだ。

カナダは規制があって12歳以下の子どもは大人がいなければ一人で家にいる事も、どこかにふらりと出かけることもできないので、どちらかというと田舎である我が家の村でさえ、通常子ども同士の遊びは親がアレンジし、車で送り迎えというパターンである。

時代も場所も違えど、私の子どものころは5歳くらいから一人でどこにでも出かけていたし、五年生くらいになると電車に乗って出かけていた事を考えると、親も子も大変だろうと察する。

さて、ティペラ村の子ども達はというと、ある意味ここは治外法権である。村の外とは違う世界が広がっているという意味で。

25件の家々は皆、どこかで繋がっている。どの家族も6人くらいは子どもがいるし、エルダーの世代なら10人兄弟は当たり前。だから、おばあちゃんの兄弟までさかのぼるとすぐに繋がりがみえる。もちろん皆顔見知りで、言ってみれば村中親戚のようなものだ。彼らにとっては村はあたかも、家の裏庭の延長のようなものだ。もちろん隣の家との仕切りになるようなものはない。だから、当たり前のような顔して、3歳の子が5歳のお姉ちゃんの後ろをついて村中どこにでもいく。

兄弟が多いから、小さい頃から妹や弟の面倒を見て育っているため、自分の事は自分で出来るし、小さい子の面倒をみるのも慣れたもの。自分の兄弟でなくたってみんな自然と手助けをし合う。


仕事が終わって夕暮れどきになると、そこかしこに子ども達を呼ぶ声が響き渡る。そして子供がどこからか、カミ〜ング(今帰るよ〜)と叫び返すのだ。

 

職場の裏の3人の子どもの両親など、なんと運動会で使われるような拡声器を最近入手し、大音量で子どもを呼ぶ声が聞こえて来て思わず吹き出した。

私はいつも、夕暮れどきに聞こえてくる親子の呼び合いを聞きながら、胸が満たされる気持ちになる。それは自分の小さい頃を思い出すからだ。

父が勤める会社の社宅に住んでいた私は、赤ちゃんの頃から一緒に育った幼馴染がたくさんいて、一日中子ども同士外で遊んでいた。友達の両親は親戚よりも近い、”おじさん”と”おばさん”だった。社宅は大きな親戚のようで、お兄ちゃんや妹、弟がたくさんいた。

社宅時代、クリスマスといえば弟との出し物の仕込みに余念がなかった。

小さな村のような社宅で、両親やおじさん、おばさんたちは、小さな運動会を計画してくれたり、みんなで一緒にご飯を食べたり、お掃除したり、私は大人達が当たり前のように助け合って暮らす姿を見ながら育った。

ティペラ村で働くようになって、小学校が休みの時には子ども達を巻き込んで村のクリーンアップをしてみたり、大人も子どもも参加できるイベントを楽しみながら企画してみたりしているのも、どこかで繋がっているんだろうな。

私はありがたい事に、ある意味、都会にある小さな村で育ったのだなぁと、この年になり、本物の小さな村に住むようになってから気がついた。

小さな村に起きる事だけで、日々は淡々と進んでいく。ここでは子どもの成長に一喜一憂し、たまにみんなで持ち寄りのご飯会(ポットラック)をするのがささやかなイベントだ。

カナダに来て、田舎に住んで思うのは、ありふれた日常の中にある、人の繋がりの暖かさとありがたさである。日本のように気軽に飲みに行ったりすることはあまりないので、友達が家に来る食事会(ポトラックパーティーと言う。)は本当に楽しみである。

今一番私がワクワクすることはこれだ。テレビの中の世界ではなく、世界のどこかのニュースではなく、今目の前にある人と人との繋がり。小さな村での繋がりこそ、リアルな世界であるということ。


今繋がれる人との繋がりを大切にすること。

そしてめいいっぱい楽しむこと。

子どもの世界では当たり前だけど、大人は忘れがち。

聖書には、子どもに見習って生きる事こそ天国へ通ずる道と書いてあるそうだが、同感である。子どもと関わる仕事を始めてから18年になるが、子ども達はいつも私に大切な事に気がつかせてくれる先生だ。

楽しく生きていれば、既にここはもう天国。

そして楽しく生きるには、頭で考えるんじゃなくて、

子ども達のように心のままに生きればいいんじゃないかな。