前回part1の続きです。

RAWCALSの仲間のDICEくんから「現実にお帰りなさ〜い」とメッセージが届き。。。
愕然・・・うう

そして夫からは「そろそろ会社の決算だね」との言葉に。。。
グサっと・・・

自己表明した(もう、リクエストに応えるような仕事はしたくない!と)途端の現実への引き戻し!!!
どれも、しっかと私の目を開かせてくれる大切なものだと肝に命じて本日より、仕事に励んでおります!笑
しかし、帰ってきた途端にやるべき事が多すぎて今日は頭がフラフラ〜

  1. コロナ禍で観光客に閉ざされた教会の今の姿
  2. 元はそこには何もなかったと言う事実
  3. 隠れキリシタンとカトリック教徒、仏教徒、日本の古くからの信仰である神道
  4. 地元は地元で成り立っていくみたいな力
聖域は人の手によって作られる/part1
長崎県、五島列島で感じた事、受け取ったメッセージです。

2. 元はそこには何もなかったと言う事実

教会ができる前は、何もなかった。という事実。
神社、教会、寺院ありきでそこがパワースポットになっていると思い込んでいた事に気づいたんです。
何故、あんな断崖絶壁で鬱蒼とした場所に天主堂や教会を建てたのかな?といくつも巡るうちに考えました。

それは、キリスト教の弾圧によって潜伏キリシタンや隠れキリシタンが五島列島という未開の地に命からがら逃げて移り住み、ここで禁教令廃止まで耐え忍んできた過去があるからなんです。

原作遠藤周作「沈黙」✖️監督マーティン・スコセッシ「沈黙〜サイレンス」を旅の途中の夜に観ました。
夫は常に勉強熱心で、旅の最中であろうと知識と教養を高めようとするのには脱帽です。
それに便乗する形で私も少しずつ、賢くなっている気がします笑
映画の中での、弾圧の酷い仕打ち、人々が翻弄された人生を目の当たりにして、死ぬか生きるかの狭間で人々の信仰がどのように関係していたか、また生活に深く関わっていたかを考えさせられました。

教会や天主堂を作った潜伏キリシタンたちはキリスト教禁教廃止の時期までこの五島列島で生き延び、五島列島で最初に建てた教会が「堂崎天主堂」を1908年に完成しました。五島列島では20の、上五島では29戸の教会があり、頭ケ島教会は島の岩を切り出して作られたものまであり、人々の物凄い熱意を感じる建物がたくさんあります。

それまでは、皆自分たちの信仰を守るために野っ原や洞窟、小屋などで祈りや洗礼を行なっていたのでしょう。

建物があって、そこがパワースポットになっていたのではなく人々の祈りの場が最初にあって、そこの場に建物が建てられたのだと当たり前の事ですが実際行ってみてわかった事です。

道志村でも塚や小さな祠がありますが、そこは特別な時に人々が集まる、儀式や祭りを行う場が点在しています。そういう集まるための目印としての建物の機能が昔から人々が受け継いできた伝統があります。