日本で生活していたときは、天然サーモン=高級というイメージくらいしかなく、違いをあまり気に留めることがなかった。しかし、カナダに来て釣りを始め、カヤックで西海岸の海をこぐようになって、サーモンの天然か養殖かは、食の好みの問題を超え、遊び場であり、住処でもある森の命全体に関わる重要な選択だと知った。

カナダバンクーバー島西海岸の海は霧が多い。霧の合間の晴れ間に心がはずむ。

毎年夏になると、私と洋二郎君は大好きなバンクーバー島西海岸の海に還る。カナダ先住民の人々は、夏になると遡上してくるサーモン漁のため、フィッシュキャンプに家族総出で移動し、夏じゅう働いて冬に備えた。私たちはサーモンを追うわけではないが、鮭も登ってくる川のそばの森の我が家から、カナダ西海岸トフィーノの海にカヤック旅をしに降りてくる。

私が初めてカナダに移民した夏も、カナダに移住して14年目の今年も、西海岸に来ると故郷へ帰ってきたような気持ちになる愛着のある海だ。この海に魅せられてカナダに移民した洋二郎君にとっては私以上に愛着があるに違いない。20代前半で、アラスカからカナダにたった1人でカヤックを漕いで下ってきた時に、カヤックの師匠である柴田さんが、途中にある小さな島、スプリングアイランドにぜひとも立ち寄るようにとアドバイスをしてくれた縁で、洋二郎君の今、さらには日本から彼に嫁いできた私の今がある。

バンクーバーアイランドは九州と同じくらいの面積。トフィーノはちょうど真ん中くらいに位置し、スプリングアイランドはそれより北に位置する。

その小さな島、スプリングアイランドは、カナダ西海岸をある程度漕いだ事のあるカヤッカーなら知らない人はいないのではないかという、カヤッカーを魅了する島である。カユーケットというカナダ西海岸の中間からやや北のエリアにあるこの島に、カヤックのガイド会社であるWest Coast Expeditions がツアーの拠点として長年夏の間だけキャンプをかまえている。リピーターの多い質の高いカヤックツアーを提供するのみならず、その辺りの海域を漕ぐカヤッカー達がふらりと訪れても最大のもてなしをもって迎えてくれる暖かさが歴代のオーナー達によって継承されているその島に、まずは先人である柴田さんが魅力され、弟子の洋二郎君もアラスカから南下の途中にそのままスタッフの一員としてしばらく働き、その後数夏過ごす事になった。私がカナダに移住した最初の住処もスプリングアイランドのテント。そんな事もあって西海岸の海に愛着があるのかもしれない。


そのスプリングアイランドから同じ西海岸をやや南下した所にあるトフィーノに、今年の夏洋二郎君の師匠柴田さんがやってくる事になった。柴田さんにとっては実に18年ぶりのトフィーノ。洋二郎君のカヤックとカナダの出発点がカユーケットのスプリングアイランドであるとすれば、柴田さんにとっては、師匠のダンルイス氏に会ったクラクワットサウンドにあるトフィーノが、カヤックの出発点のようである。


弟子の洋二郎君としては、いつも耳に聞くばかりの師匠の師匠に是非とも会いたいとの事で、七月のある日、トフィーノの街の対岸の小さな島に住むダン氏の家まで、自転車のような感覚で柴田さんと3人でカヤックを漕いで訪れた。

柴田さん、師匠のダン•ルイス氏、奥さんのボニーさん。手前が洋二郎君

近くまで来てようやく家がある事に気が付くような、こんもりとした森に覆われたダン氏の島には、小さいながらも小さな周遊トレールがあり、カヤックで上陸した我々をダン氏はまず島の散策に誘ってくれた。ベリーなどの低木と針葉樹の混ざったカナダらしい森を進んで行くと、立派な巨木の前にでた。雷に当たって中が空洞化し、大人が4、5人は入れる広さのまさに天然ツリーハウス。他にも島の反対側には巨木が門のように2本そびえていた。

巨木の中は空洞化している。数えてみたら6本以上の様々な種類の木が、雷に打たれた巨木に養われており、あたかもまだ生きているように緑に覆われていた。

カナダの開拓の歴史は常に林業と共にあるため、多くの場所は二次林であるが、この小さな島に1000年以上は生きてきたであろう巨木が残っているのには驚いた。ダン氏曰く、木材としては適さないねじれぶりで伐採を免れたのだろうと言うことであった。さらに森を行くと、周囲に比べ若い樹が立ち並ぶ平地があった。カナダに西洋人が入植して間もない1800年頃には交易所と病院があったというが、それより以前には豊かな海の幸に囲まれた緩やかな起伏のこの土地には、自然と共に生きた先住民の人々の暮らしがあったのであろう。

森の中の小道をダン氏、洋二郎君、柴田さんの順で歩く。三世代のカヤッカーが時を共有するこの瞬間にフト気がついて感慨深くシャッターを押した。


森散策の後、海に面したダン氏の家のテラスでランチをご馳走になった。オフグリッドで暮らすダンさんとパートナーのボニーさんは、数年前まで冷蔵庫も移動用のボートも持たず、トフィーノに用がある時にはカヤックで出掛けていたという。近年ジェネレーターを新調し、エネルギー供給量の増加により冷蔵庫が使えるようになったらしい。冷えたビールを片手に柴田さんとダンさんとの出会い話や、トフィーノ周辺の島々の歴史話に花が咲く。しかし最も印象的だったのはトフィーノ周辺の海、クラクワットサウンドの今についての話である。

トフィーノの街が向こうに見えるが、別世界のような静けさ。

ダンさんと奥さんのボニーさんは、10年以上にわたりこの近海の養殖サーモン場の問題について声を上げてきた人である。10年以上前は小さかったであろうその声は、今や多くの先住民の人たちの声を伴い政府をも納得させ、2025年までに養殖場撤廃と言う宣言を成すに至った。なんの会話をしていてもサーモン養殖場の今に戻ってくる二人の情熱は、心ある会社の環境活動団体への助成金などの力も得て、地域の人々と連結し着実な行動をしてきた。しかし彼らにとっては養殖場が撤廃されるまで心の平安はないようにみられた。


熱心な彼らの話を聞きながら、流通というブラックボックスを経た先にある、養殖サーモンの大量消費国日本において、どれだけの人がこの問題を知っているのだろうかと思ったが、その数の少なさを思うと言葉を飲み込んだ。


鮭釣りをするようになって実感したのは、鮭が森を作っていると言うことだ。鮭が上がってくる川沿いの森は大きく立派で、それは遠くから見ても一目で見てわかる。川を上ってきた鮭は産卵し力尽き、上流の河原で熊やその他の動物達に海からの養分を提供する。その残りの骨や動物たちの糞は森の養分となる。先住民は住処を鮭とともに移動するくらい鮭に寄り添って生きてきた。食は文化の出発点である。言語も、道具も、伝承される物語も、生きていくための狩猟に深く関わるからである。


カナダの森と文化を培ってきたとも言える鮭の遡上はしかし、年々減少の一途をたどっている。林業などによる環境の大きな変化が打撃を与えているのは言うまでもないが、養殖場という鮭にとって不自然な環境は、様々な問題をさらに引き起こしている。鮭は生まれた川から一度海に降り、さらに長距離を海遊してその身を豊かに成長させ、また生まれ故郷の川に帰るという強靭なDNAを兼ね備えている。その力を発揮する事なく狭い養殖場で育った鮭は病気にかかりやすくなる。トド達の格好の標的となる養殖場の網は、自らがあけた穴に挟まりトド達が命を落とすだけでなく、海シラミに感染した鮭を周囲の海に逃す事になる。養殖場のそばを通過する天然サーモンが感染し命を落としているという事実は、養殖場が撤廃された後に桁違いの鮭が川に戻ってきた事実からも明らかである。

西海岸の川と海を悠々と回遊し、命を脈々と繋げてきた鮭達と、この海とカヤックを愛してパドルし続ける三世代のカヤッカー達のありようがなんだか重なって、鮭達のこと、彼らのために情熱を傾けてきたダン氏の事を語らずにはいられなくなった。

「あともう少しなんだ。」ダン氏が力を込めて呟いていたのが耳に残る。現状は厳しくても、確実に少しずつ行動の成果を目にして来たダン氏。楽観する事も悲観する事もなく、ただひたすらに一つの問題に長年向かい合って来たダン氏の忍耐力に敬服するとともに、カナダの森と海を創る鮭の命の循環が続くよう、人間の判断が手遅れになる事のないよう、願ってやまない。