私はカナダファーストネーションの森の中にあるコミュニティーで、保育士として働いている。

彼らのコミュニティ中心の生き方や文化に触れ、日本人が失った大切なものを再発見させられることが多々ある。

通勤路

ある時仕事で、ファーストネーションの会議に出席した際に、伝統食の継承に力を入れる若手シェフが言った。「食べるためには、狩をし、狩りをするためには、経験や技術を養い、肉をさばき、皮をなめし、料理をし、肉をコミュニティーの人々にシェアし、自然から得た命への感謝にタバコをオファーするなど、たくさんの文化が含まれる。食べることをやめた時文化が途絶える。それほど食は文化に直結する。だからこそ私達は伝統食に力を入れていくべきだ」と。

プレゼンテーターの若手シェフ…モヒカンにスーツでキマッテタ。
食べる事がどれだけの文化の継承によって支えられているかを図式化したもの

私が働くコミュニティの学校と保育園に文化のクラスを担当してくれている地域のエルダーがいる。彼は狩で獲った鮭や肉を学校に持ってきて、子供たちにさばき方や伝統的な保存方法を教えたり、学校のランチに鮭や肉をシェアしたりもしてくれる。その彼が裁判所への出頭命令が来たと言うので理由を聞くと、エルクを撃ったからだと言う。集落の近くのエルクを撃ってはいけないルールを聞いたことがあったし、彼も知っていたはずだが、今年は猟でのメインのターゲットである鹿が少なかったためにやむなく撃ったと言った。動物保護の視点の大切さはわかる。しかし先に述べたように、ファーストネーションの人々にとって食べる事は文化を継承することなのだ。

子ども用の外用キッチンで鮭を解体するエルダー

カナダ先住民は、カナダ政府による先住民同化政策により、三世代にわたり親元から離され、寄宿学校に強制的に入れられ、言語や文化を奪われた歴史がある。その失われた文化を取り戻すべく、生まれ故郷の先祖の土地に帰ってきた彼にとって、狩をする事は失われたアイデンティティーを取り戻すためのヒーリングプロセスとも言える。

裁判の話を聞いたとき、一方的な権力が一方的なルールでしか物事を見ていないことへの憤りを感じた。

数週間後、警察の動物担当部署であるコンサベーションオフィサーが彼の家に現れた。はるばる未舗装のロギングロードを2時間かけてきたオフィサーは、私の同僚であるエルダーが保存用に処理して冷凍しておいたエルクの肉を全て没収したそうだ。コンサベーションオフィサーはルールに則って行動しただけなのであろうが、その出来事を友人から聞いた時、文化の抹殺が行われた歴史のただ中に戻されたようなショックを受けた。

日本の先住民アイヌも、ファーストネーションと同様に、政府による文化抹殺政策により、言語をはじめ多くの文化が途絶え、失われた歴史を持つ。アイヌはファーストネーションと同じく、遡上する鮭漁を中心にした生活を送ってきた民族だ。日本政府の同化政策の厳しさによって、言語文化を継承するアイヌ人口が極めて少ない中、アイヌ民族の文化を次世代に繋げる活動をした萱野茂氏はアイヌ語辞書を作り、国家議員になった。彼のいくつかの著書の中にある絵本の中に、幼い彼がとても心を痛めた事件について書かれている。ある日突然、みんなのために働いてまわる彼の父が逮捕された日のことだ。萱野氏の父は、政府が禁止していた鮭漁をし、集落の人々に鮭を分けていた罪で捕まった。先祖代々鮭をとってきたアイヌの人々にとって、鮭は食事以上のもの。体を養うのみならず、魂を養うものだったはずだ。それが禁止されていた事実を知ってショックを受けた記憶が、同僚のエルダーの話と重なった。

エルクジャーキー。小さいけど強烈に美味しくてお腹も心も満たされる。


同僚のエルダーからもらったエルクジャーキーを、週末に山にスキーに行った時に食べた。久しぶりの吹雪の中での昼食、ひと口食べて小さい肉片の持つ凝縮されたエネルギーに圧倒された。自分の住む土地で家族や友人たちのために狩りをし、保存し、今年1年に備える。その喜びを共有させてもらった1人として何ができるだろうかと考えた。彼のために何か出来るわけではない。大きな事も出来ない。でも、おかしい。と思った自分の気持ちを表現する事は出来る。そう思って久しぶりにブログを書いた。