こんにちは☺
今日はママです。

3月🌸
色々なことが年度末で終わり、新たなスタートに期待や不安を覚える時期です。

私は数年前まで、この3月が少し苦手でした。

5月病ならぬ、3月病?!😱

気候とか色々なものが芽吹いて明るくなっていく様子はとても好きなのに。

年度の切り替えで今までのことが終ったり、別れたり、変わっていく悲しさ。
そして変化への不安。

外の春のワクワク感はあるけど、内なる何かが、黒くモヤモヤと…
心身魂共になんとなく不調で、嫌な感じになる月でした😰

でも今思えば不調の理由は、悲しさや不安とはちょっと違ったのかなと思います。

たぶんそれは本当は、
「様々な不自然」に囲まれた1年がまた始まることへの倦怠感。
のようなものだったんじゃないかと思えてきました。

もちろん一年中いつも絶望して、倦怠状態だったわけじゃないですが😅

でもやっぱり今の時代に、とくに都会に生きていると、社会のルールだったり環境や立場の縛りで、生物が生きていく上でたくさんの
「不自然なこと」
に身を委ねることになります。

個々のつながりや人間関係、一つ一つの出来事はそれなりにそれぞれ楽しんでいても、全体の大きな枠になっている
「不自然さ」
からはなかなか逃れられず、1年という大枠で見た時に、その大枠が、心身魂をなんだか憂鬱にさせるのでした😔

でも道志村に移住して田舎の生活に馴染んできて、3月が苦手な感覚はほぼなくなりました☺

そして常に週末やこの春休みで、息子達と外遊びを満喫する中でしみじみ感じるのが、自然の風景の変化です。

都会だと多少の花や街路樹の変化はありますが、ここで畑や山の季節の移ろいを毎日見届ける生活とは、季節の感覚を肌で感じる上で比べ物になりません。

季節感って、ただ風景を目で楽しむだけではなく、
「人間の自然な感覚」
を養う上で、必要不可欠なんじゃないかと思うようになりました。

それに生まれた時に、
それぞれ別々の肉体を持った時から個々が分かれていて、
それぞれの魂が、
それぞれのレベルで成長するために地球に来たのに、

競い合って順位をつけることが大好きな教育、
個性を認めると言いつつ、やっぱり出る杭は打たれやすい社会、
人々が常に流行を追い求める消費社会、
コンクリートで固められ、季節感のない環境……

そういうものが基盤になっていた
「不自然な生活」
の中では、根本的な生きる目的が果たせず、窮屈になって当然ではないかと…😔

3月病は、心身魂が生きる上での「自然」を求めてサインをくれていたと言うか、警告を鳴らしていたのかも?

ただ一つ言いたいのは、
都会がダメで田舎が良い!
という単純な問題ではありません。

心身魂の声をよく聞いて、常に感覚を研ぎ澄ませておくこと。

その上で、環境や立場や外側の問題が出てきた時に、それを可能な限り変えたり、実生活に反映させれば良んじゃないかな。

どちらにせよ、これからの未来、しばしは多少のすったもんだはあるかもしれないけれど、いずれは心地よい環境だけが残ってきます!

今は道志村に来て、4度目の3月🌸

ここの人にも、
この地にも、
数え切れないほどの良縁への感謝と共に、
年度を締めくくりたいと思います🥰

では、今日もありがとうございました♫
Thanks for reading!