旅先でも何度か熊に出会った。ちょうど鮭の遡上時期に重なっていたため、河口近くのビーチで興奮の面持ちで釣りをする洋二郎氏。その横をのそのそと通り過ぎる熊。ああ熊ね。そりゃいるわな。という感じの私達。だって毎年裏庭に熊が出るんだもん。

ビーチに落ちていた熊のフン。この熊はベリーばかり食べているようだ。

カナダの川、そして海は、本当に豊かである。休暇前に職場があるティペラ村に沿って流れる川でも鮭が取れ始めた。同僚で村のエルダーであるカールさんは毎週のように仕事前に鮭を釣って、嬉しそうに私の働く保育園に持ってきた。子ども達が見守る中、園庭にある子ども用のキッチンテーブルを使って慣れた手つきで鮭をさばく。伝統的な干し鮭の作り方を習ったり、ツルツルのオスの精巣、白子を触らしてもらったり、子ども達も興味深々の様子であった。

今時期ティペラでもっぱら網漁で捕まえるのはソカイと言われる紅鮭だが、コーホーと呼ばれる銀鮭をフライフィッシングで海岸から釣る事が洋二郎君の夢の一つだったらしい。

カヤック旅行中、河口から川をさかのぼって探検するのは海と違った景色が見れて面白い。今回もカヤックをこすりそうなくらい遠浅の河口に寄ってみたら、まるでブリやカツオのようた貫禄のある魚体の銀鮭がどっポンどっポンと跳ねていた。見える魚は釣れないのが定説だか、この場合は違った。大きな銀鮭の入れ食いに大興奮の洋二郎氏。釣り人にとってはまさに夢のような瞬間であろう。

さらに、その晩泊まったキャンプ地の岬も良いスポットだったらしく、投げた毛鉤に3、4匹銀鮭が追ってくる様子が見えるほどだったらしい。食えない釣りはしないのがモットーの私は遠巻きに見ていたが、洋二郎君は日暮れまで魚釣りを楽しんでいたようだ。

良かったね、夢が叶って。


通常鮭釣りには色々規制があって、ルール的には銀鮭は食べてはいけないので、私達はフリーズドライの食事に飽きると、ロックフィッシュ(カサゴのような魚)をよく食べた。

カナダの森といえば針葉樹が思い浮かぶが、ウェストコーストの海といえばジャイアントリーフケルプやボウケルプが目に浮かぶ。海面すれすれにたなびくケルプは、森のように豊かで大きいウェストコーストの海のシンボルだ。


ロックフィッシュはその海藻の周辺に生息している。釣りを始めるにはまず、巨大な海藻を手繰り寄せてカヤックのコックピットに乗せて、風や潮に流されないように海中ケルプの森のハズレに自分の乗るカヤックを固定させる。そしてカヤックのコックピットから、釣糸を巻き付けた手持ちサイズの流木の木端を取り出す。糸先には飾り気の無い重りのようなルアーが付いているだけ。カヤックからの釣りに、竿もこだわりルアーも要らないのだ。

手前の海藻がボウケルプ。拳大のボールが浮きのような役割を果たしている

ロックフィッシュを釣るには、海底まで一度ルアーを沈め、数十センチ上に巻き上げシャくると釣れる手筈なのだが、ある時洋二郎君が海面から2メートル下くらいで魚が寄ってくるのを発見。カヤックから覗き込むと五匹くらい集まって、そのうち一番大きなやつがルアーを食ってくれた。2人のオカズには丁度良いサイズ。

背びれの見事なトゲトゲに指を刺さないように吊り上げると、ハンドルアーの流木をハンマーにして、頭をこちんと打って気絶させ、キャンプ地に持ち帰る。料理は単純で内臓と鱗を取って海水で茹でた後、真水を足して塩加減を調整して潮汁にする。茹でた魚は別皿に盛り、生姜とネギを油で炒めて醤油を加えたタレをかける。これを戻した乾燥米と食べる。この料理、洋二郎君が以前働いていた、バンクーバー島のカヤックガイド会社の敬愛する親方から習った彼の得意料理である。シンプルにして美味しい。カナダの海では基本的に、釣り糸とツアーさえあればおかずになる魚に困ることはない。


今回はカヤックの上から生き物の密度の濃さを毎日感じる旅だった。出会った海洋性哺乳動物ばトド、ラッコ、イルカと数種類のクジラ達。彼らは食べ物に困る事はないからかなのか、カヤッカーかという変な生き物を観察する余裕さえある。


潮の流れの早い海峡を漕ぎ進めながら、フト海藻の合間を見ると小魚の大群がキラキラキラキラ動いている。数漕ぎしたら次の大群…。

付近の海は小さなイワシの大群で充満している。こんなにいっぱいいたら、大きなクジラが口を開けながらこの細長い海峡を何往復かしたらお腹いっぱいになるんだろうなあ。なんて思っていたら、視線の先にプシューっと飛沫が上がった。7、8分おきにあがってくる潮はクジラの家族が海中の小魚の群を捕食しているのだろう。小さい飛沫や大きい飛沫が見える。おそらくウェストコーストの海でよく見る座頭鯨か。


数百メートル先に見える鯨の潮吹きに目を凝らしていたら、フト、すぐ後ろに視線を感じた。振り返ると私のカヤックの5メートルくらい先に三角形の黒い背びれがゆっくりと水面に姿をあらわした。興奮しながらも見慣れた座頭鯨の小さな背びれとはちょっと違うなあ。と思って見ていると、1メートル程の背びれを持つそのクジラはゆっくり沈んでいった。遠くからじっとこちらを見つめてくるラッコ達といい、この海では私達が見物されているような気分になる。


さて、視線を遠くに見える鯨の潮吹きに戻すと、そのうちの一頭が見たこともない大きな水飛沫をあげてジャンプした。その背中は背びれがあまり尖っておらずスムーズな、座頭鯨の特徴をあらわしていた。それにしてもシャチは一匹では行動しないし、いったい背後にいた鯨は何ものかと旅の間、終始考えていた。カヤックを終え、街で立ち寄った鯨の保護団体の事務所兼ギャラリーで、ミンク鯨ではないかと写真を見せてくれた。そう、まさににその背びれ!と嬉しくなった。


座頭鯨とミンククジラ、トドやラッコが総出演で自分の目の前に登場するという奇跡の中にいたんだと、終えたばかりの旅の余韻にひたった。


心臓が鼓動を打ち続けるかの如く、奇跡のような圧倒的な自然は、当たり前のようにその場所で、今この瞬間も大小さまざまな命の鼓動を打ち続けている。そこにいけば私も、その大小様々な命の一員になって、全ての感覚を自然に溶け込ませていた。喜びをもって食事し、日々私を運ぶために働いてくれる肩、腕、足、腰、臓器、カヤック、パドル、風が吹いたら引っ張ってくれる洋二郎君に感謝して、波と風とダンスするようにパドルを漕いでいた。時には軽やかに、時には力強く。

そして、夕日が沈む海岸線を風に吹かれて散歩した後テントに入って眠りにつく。

生きるって、それくらいシンプルでいい。それくらいシンプルがいい。