春先から毎週末のように海に漕ぎ出してきた私達だが、ちょっと違うことがしたくなり、この週末はバイクパッキング(マウンテンバイクによるキャンプ山行)出かけた。

今回の目的地のサウスチョーコートンは我々の住むペンバートンの村外れから始まるハーリーパスという未舗装のガタガタ峠道を越えた先にある。その手間にゴールドブリッジというゴールドラッシュ時代に栄えた今は寂れた村があるから、ちょっと遠いけど隣村とも言えなくはない。


サウスチョーコートンは北海道の大雪山山系に似た感じの比較的穏やかな山容のエリア。ゴールドラッシュの時には山中に幾つも金鉱があったらしく、当時使われた使役馬用のトレイルが山の麓から峠を超えて山深くまで幾つも伸びている。現在は州立自然公園になっていて、ハイキングや登山だけでなく、ホースバックライディング(乗馬による山岳キャンプ)や高山帯でのマウンテンバイキングを楽しむことができる。

私達は土曜の朝、早めの朝食を済ませ、キャンプ道具を装載されたマウンテンバイクを車に積み込んで出発した。村外れの谷合の牧草地を通る道を進むと、川沿いの舗装路が未舗装路に変わり、少しするとつづら折れの急な峠道(50キロ)が始まる。


このハーリー峠は鉱山開拓者の辿った本格的 な山道。ロバ、馬、徒歩が移動手段だった当時よりは手が入っているとはいえこの山岳未舗装路は簡単に私の意識を馬車の時代にタイムスリップさせる。標高が高いため、急勾配の道を運転して行くと、崖下に見下ろす我が村を縦断するリルエットリバーは、遥か彼方。途中道の両脇には6月だというのにまだ雪が残っている。

この道の険しさを物語る思い出を二つ。

カナダに来たばかりの頃、当時の愛車ススキ2輪駆動のステーションワゴンでこの道を往復した。20万キロは超えていたが、非常に快調だった我らがスズキクンもラリーコースのようなハリーパスの帰路で、今まで聞こえなかった異音が発生。残念ながらそのドライブが切っ掛けでその車を手放すことになった。


二つめは友人達とバイクキャンプに行った際、行きも帰りも2度もパンクして、帰り道真っ暗な中でタイヤをなんとか修理して(スペアは一度目に交換済み)、まだ若干空気の抜けるタイヤを手持ちの自転車ポンプを何度か交代で使ってなんとか下界にたどり着いた事。(その後電動空気入れをいつも車に搭載するようになった。)


とまあとにかく今回も1時間半ほどエキサイティングな裏山越えの後、さらにまた違う林道をくねくねガタガタ越えでようやくトレイルヘッドに辿り着く。

今回はここから森の中の沢沿いのトレイルを通り、お花畑を抜けて、山上湖畔にあるテントサイトまでの片道距離18キロ/標高差800メートルのコース。開拓者が切り開いた”ドンキーロード”(ロバ道)と呼ばれるトレイルを自転車で漕いだり、押したりして上がっていく。


マウンテンバイクはママチャリと違って変速機が付いているので登りもそこそこ楽しくこいでいく。急な登りは休みながら、景色を楽しながら、自転車を押し上げる。


このサウスチョーコートン、通常はハイキングや登山でしか来れないようなところでマウンテンバイクを楽しめてしまう、アドベンチャー好きなマウンテンバイカーには夢のようなところ。ただトレイル利用者も少なく、整備や標識も数年前は整っていなかったので、始めた数年間は何度か想定外のアドベンチャーもした。真夏でも峠では雪が降るような標高を通るコースは短いもので日帰り通常6時間程度。地図に載っているコースが途中で無くなって、重い自転車を抱えて崖やら道なき道を行き、脱出した頃には行動時間10時間…。途中迷っていると人間の頭サイズの羆の足跡に出くわしたりする。ここはグリズリーカントリー。夜まで迷いたくはないから必死である。

シートの下に重い装備、ハンドルの上に寝袋をくくりつけ、食事道具と釣り道具を背負っている。

毎年日帰りのコースを悪戦苦闘しながら、サウスチョーコートンでのマウンテンバイキングに慣れてくると、ある年洋二郎はバイクパッキングをしてもう少し奥のトレイルを楽しみたいと言い出した。マウンテンバイクにテントと寝袋を括りつけて。

バイクパッキングを始めた数年はシーズン終わりには、もう2度と行かない。と毎年のように宣言していた。キャンプ道具をつけたマウンテンバイクは漕いでも押しても重い。


サバイバル色が濃く、筋肉痛にさいなまれるこのアクティビティはしかし、天国のようなお花畑や山上から見るどこまでも広がる山並みによって毎回楽しい思い出のみがハイライトされるから不思議である。

洋二郎に引き換え身軽な私。二人の昼ごはんと自分の服を背負うのみ。ありがとう洋二郎君。

数年前、バイクパッキングに釣り道具を持って行くと洋二郎が言った時は耳を疑った。軽量化のためなんせ寝袋も二人で一つにしたりと荷物を出来るだけ減らす事に頭を使っているのに、なぜ釣り道具?でも本人が持っていくのでどうぞご自由にという態度だった私は仰天した。あんな山中の湖で、彼はかなり良いサイズの魚をを釣り上げたのだ。


その後は装備も洗練されて体もそれなりに慣れて、始めた時より年齢は増してるのに、ここ最近は楽しかったねー。だけで終われるようになった。毎回2度と行かないと文句を言っていた若い私の敗因は、頑張っていたこと。年齢を重ねると無理しない。負けていく。強がらない。これが身体に無理なく楽しく過ごせる秘訣である。


昔はくたびれ果てて食事を済ますとすぐ寝ていた。焚き火なんてラグジュアリーな事をしようとも思わなかった。

しかし今や焚き火のそばで夏至直前の日の長さを堪能できる余裕がある。シトシト雨で限られた防寒具しかない私は服を着るごとくに焚き火にへばりついている。

水上飛行機用の桟橋から釣りをする洋二郎。山頂湖まで水上飛行機をチャーターして、ここから一気にトレイルを下り降りる数千ドルのツアーが実は人気。まだアーリーシーズンだからか今回は私達の他にキャンプしてる人はいなかった。

ゆらめく焚き火の奥に広がる山並みを見つめていると、その山並みの奥にある、車で越えてきたハーリーパスや、さらに奥にある我が家から見えるマウントカーリーの存在を感じ、自分が山のヒダの間にある小さな点のように思えてきた。

フト火に目を留めていると今度は今ここに自分と火だけが感じられて、自分が巨大な、とてつもなく巨大な存在のような気になる。自分の世界に集中している時は世界の本当の大きさを忘れている。

そういえば誰がが言っていた。地球を人間だとすると、私達は腸内細菌のようなものだと。じゃああの山並みは腸壁のヒダか?そして地球にへばりつく大陸は臓器のようなものだろうか?

宿主地球が腸内細菌に望むのは、元気に生き生きと持ち場で活動してくれることぐらいであろう。やるべきことはかなりシンプルである。

そんな事を考えていたら、雨雲一面だった空に光が差し、夜9時だというのに快晴の空が広がった。身も心もあったかくなって寝袋に潜り込んだ。

さっきまでの雨雲が嘘のように晴れ渡ったのは午後9時。左上には月が見えている。