「死」とは何か イェール大学で23年連続の人気講義 "完全翻訳版"

大変面白い内容でした。農作業したり運転をしながら、オーディオブックで楽しく聴いていました。

著者のシェリーケーガン教授は哲学者です。

まだ新しい部類の本なので、あまり内容は書きませんが、

教授は僕の考えとは違って、魂の存在を信じてはいません。

しかし、その非常に柔軟な考え方には感銘を受けました。決して否定はしないという姿勢。

もし、研究によって新しい発見があれば、自分もなんの抵抗もなく魂説を採用すると。

世間では「そんなバカなことあるわけないだろう」と決めつけてしまうところを、

教授はそういう無意味な壁をもっていない。

なんてステキな人だろうと僕は思ったわけです。

この本で言うと、僕は二元論者です。

魂があると思っているので。

科学的には魂があるのか、ないのかはわかっていません。

だから、正確には魂があるとは断定できないし、ないとも断定することは出来ません。

しかし、魂が「ない」と断定している人が多いのが世の中というものです。

僕もそんな1人でしたが、180度変わって魂は「ある」という人になりました。

そして、その考えをブログに書いている。

それは二極化を煽っている事にも、見方を変えれば繋がるわけです。

ただ、言っておきたいのは、

僕は争ってまで自分の主張を通すつもりはないという事。

二極化だろうが、三極化だろうが、信じるものが違っても良いじゃないですか、そのままの状態で。

違いを無くそうとするから、争いになるのです。

つまり、最も大切なことは、

魂があるよと信じてもらう事ではありません。

自分とは違う他人の考えを許容すること。

違いを許すということ。

その上で共存共栄の道を探ること。

それが、一番大事な事だと思います。

この本を読んでそう強く思いました。

ごりごり主張する本ではなかった。哲学的な議論をしながら、未知の事をともに模索していこうという姿勢が伝わってきました。

自分と違う考えを罵倒し、自分の考え1色に周囲を染めようとするのではなく、

受け止めて考察する姿勢。

本当に素晴らしい教授だなと感動しました。

さて、ここから先はいつもの信じなくていいですよ、の話ですが。

この本でも魂の存在までは言及していましたが、この考え方にまでは触れていなかったので、それを言って終わりたいと思います。

僕は単に魂があるよ!と言う事を考えているのではないのです。

魂、実は一人に複数宿っています。

年齢に応じて身体に宿っている魂の数が増えていきます。

人間は子供の頃は魂が1つ。

野生の動物は大人になっても魂が1つのまま。

人間の場合、最初の魂は本能的な生命活動をしています。

だいたい10代には魂がもう1つ宿ります。

そうすると、感情をコントロールしたりする事が出来るようになり、グッと精神的に大人になります。

この2つ目の魂が宿らない人もいます。

そういう人はかなり本能的です。

天才児という存在は、子供ながらに魂が2つ以上宿っている人に多いです。

逆に宿る魂の数が多くて、精神が統合できず心の病になったりするケースもあります。

その場合は、やがて多重人格になったりもします。

心がざわざわしたり、思いが暴走しがちな人は、

ただ、自分に複数の魂が宿っているだけなので、

それをうまく統合すればいいのです。

違いを受け入れて、互いを尊重し、発展の恩恵を享受するという思いを抱きながら

「愛、愛、愛」

とつぶやく。言霊の波動を放つわけです。

すると、魂はだんだんと統合されて、本人の人格も成長していきます。

そういうぶっ飛び系なことを言うのが僕です。

くれぐれも信じなてくいいですからね!

あなたはあなたのままでいい。

違いは違いのまま許容する。

その上で、仲良くやっていく。

それが何よりも大事なことです。

ありがとうございました!

体重73.5キロ