天気が優れない週末は、活動内容が変わって家でのんびりしようという気持ちになり、やらなくてはいけない事もひとまず傍に置いて、動画配信サービスamazonプライムビデオやNetflixなどで映画やドラマをyogiboと一体となりながら夕食後に鑑賞を楽しむのも悪くない。
家の中から雨模様を眺める日も大切だ。
木造の家なので、雨音もなかなか激しいのでそれをBGMに本を読んだり、ブログを書いてしんしんとした気持ちを取り戻す。

田舎暮らしをして6年が経とうとしている。

私はもっと自分のペースで生きていく事を意識しているし、自分のために生きていきたいと最近つくづく思う。

誰も、他人や社会と思われる外界の為だけに自分の身をすり減らす必要などない。

そんな誰の目にも触れないで、自分勝手に独り占めできる夜や朝、一日が誰にでも必要なのかもしれないと感じる。見られている感みたいな他人と自分を区別する垣根みたいな空間は誰にもでも必要なんじゃないかな。(息子も最近、見ないで!とか言ってくるし笑)
人に常に見られてる感があると正直キツくないですか。。。。

何かをしなくては!とかこういう人間にならなくては!と自分を責め立てたり、駆り立てる衝動はただ自分の思い込みなのだと最近では思っている。
今は、自分の目の前の事だけを見てあまり将来的な展望や野心は持たずに生きていきたいなぁという気持ちでいる。

そんな時に、夫が以前観たと言っていた「ミッドサマー」に興味があり余裕ある秋の夜に観てみた。

ストーリーは
家族を不慮の事故で失ったダニーは、大学で民俗学を研究する恋人や友人と共にスウェーデンの奥地で開かれる”90年に一度の祝祭”を訪れる。美しい花々が咲き乱れ、太陽が沈まないその村は、優しい住人が陽気に歌い踊る楽園のように思えた。しかし、次第に不穏な空気が漂い始め、ダニーの心はかき乱されていく。妄想、トラウマ、不安、恐怖……それは想像を絶する悪夢の始まりだった。[https://www.phantom-film.com/midsommar/]

夫は怖いイメージ(ホラー的要素がある)でこの映画を捉えていたようで観ている私に「どんどん怖くなっていくよ〜」など脅かしをかけるものだから、息子の大きなゾウのぬいぐるみを抱えながら見ていたけれど、「あれ?」全然怖くないじゃん。

どんどん作品に引き込まれていく。生きるとは?死ぬとは?そんな根源を見せてくれる美しい映画だった。

どこの社会に自分は所属したいのか?をもっと明確に考えながら生きていく事の重要性を感じた。

社会って、都心やメディアが作りだすイメージとしての社会だけではないのだな。とこの映画を観て思った。
社会って、このミッドサマーのスウェーデンの夏至祭が行われたコミュニティーも確実に社会だし、私の住んでいるこの小さな村も社会、そして家族も社会なのだ。

我々が普段いる文明社会と言われる現代に生きる若者(主人公やその彼氏や仲間たち)が違う社会に入り込んだ時にその価値観、生死観の違いが結果ホラー的なものになっていくだけで、その現代社会の価値観てどこまでが本当のものなのかと投げかけているようにこの映画からも感じることができる。
しかも主人公は結果このコミュニティーにきて「自分の生きる意味」がわかったという開眼があったシーンにはエキサイトするような感情が私の中からも出てきた。
う〜ん、突き抜けるね!って感じ。

自分と本当の意味で共鳴してくれる、そんなコミュニティーがある事が現代社会でどん底にいて孤独だったり、底辺であると自身を責めてしまう人にとっては何よりの幸福なんじゃないかと思える。

この美しいコミュニティーの世界での祭りと多数の人を自殺に追い込む現代のどちらが異様なのか・・・

それぞれにこの映画をホラーと受け取るか完結した世界と受け取るかがはっきりと分かれてしまうだろう。

それは、自分がどちら寄りの社会に属したいか?という選択の提案でもある。

そこで、自分が自分として生を生きて行くことができればいいんじゃないかな。

私は、自分の自宅の冬に使う薪を用意して、子どもや家族が暖かい家でゆったり過ごせるこれからの長い冬への支度とこの村で一日できるところまでやれる仕事(自営業)、仲間との楽しみ(周りの自然とも一体となれるような)、そしてネット上で同じ考えや思想の仲間との精神的な繋がりの4点が確保されていれば十分だ。

生きる意味を探求するなんてやめて、その日をただ楽しめばいいと思っている。

今日は、雨。
何しよっかな💓