こんにちは☺
本日はママです。

サントーシャとはヨガ哲学の用語ですが、意味は「足るを知る」ということ。

幸せを自分の外側に追い求めてばかりいるといつまでたっても満たされず、自分自身を苦しめることになります。
ないものねだりをやめて、内側に幸せを見出そう。
ということですね☺

幸せになるには?
不思議な魔法も大きな 叡智も何も必要なく、結局はこれに気が付くかつかないかではないでしょうか。

私は、自分にとってチャレンジングなヨガ合宿に参加してこそこれに気がつくことができましたが、本当は自分の世界をひっくり返すのに、バリ島まで足を延ばす必要はありません。笑

私がこの気付きに至った経緯はヨガ合宿がきっかけですが、これはやはり必然だったと思える面白いつながりがありました。

実は、私が参加したそのヨガ合宿の団体名が「サントーシャ」だったのです!!

そのまんますぎて何のひねりもないですが😂

当時の私は「足るを知る」という云われすら知らず…でも団体名なので、サンスクリット語と合わせて、言葉の意味はかなり初期に学んで理解はしました。

でも本当に気が付いて、実体感が伴ったのはずいぶん後。
しかも体験した時、初めてわかったような大きな衝撃がありました。
後から思うと、頭で知ってたことなのにどうしてなのか…おかしいですね🤭

本当に気が付くこと=実体感というのは、頭の中の言葉の理解とともにやってくるものではないんですね。
だからあえて書いてます。

このブログを読んでくださっているみなさんも、「足るを知る」の言葉と意味を知ってる方はたくさんいるでしょう。

でもそれ、頭だけの理解に留まってませんか?
そんなのとてももったいない😿

私は頭だけで理解した時点で、なぜか
「現状満足するって、これ以上を目指さないことじゃない?精進しないというか、怠慢になりそう。」
とマイナスな感覚がありました。

でも、今あるものやことに感謝したって、更に上を目指すことはできます。

どの地点でも感謝はできますね。

もっと素敵なものを手に入れるために頑張るのは素晴らしいし、それをやめる必要はないです。

でも現状がなんであれ、まずそれに感謝することも、同時にできます。

だから両方同時にしてれば、常に幸せ☺

足を知るをどうしても身につけられない人には、人生の試練として、すごく「不足の事態」が起こると思うんです。

現場にありがたみを持てないのであれば、まず不足させて、現状がいかにありがたいか感じるところから始めようというわけです。

それも、この足るを知るという幸せの鍵を学ぶために、自分で引き寄せることだと思います。

バリ島というのはとても良い学びの場で、日本から行った私たちにとっては、本当に足りないものだらけ。笑

wi-fiはたまにしかつかない。
お風呂はいつも水シャワーでたまにしかお湯が出ない。
窓がなくて虫が入り放題。
お店に行けない。
猛暑だけどエアコン無し。
等々…あげれはきりがない😂

でもこれを、
嫌だな、困ったな、ダメだな、
と捉えるか。

または、いつも当たり前にあるもののありがたさを痛感し、不足には、それに気付かせたくれたものたちとして感謝をするか。

どちらに転ぶかで人生が変わると言っていいでしょう☺

足るを知るを知るために、自ら深刻な不足の事態を招かないようにしたいものです。

では、今日もありがとうございました♫
Thanks for reading!