先物の貴金属相場が何やら怪しい動きをしています。

金融市場を見ていると、世界のお金の動きがわかるのです。

何故なら人類のほとんど全ての活動が、お金に集約される資本主義社会だから。

今世界ではお金が溢れるほど発行されているので、そのお金が金融市場に流れています。

実際はデータ上で印字されてるだけですけどね。通帳に。現金というのはかなり少ない。

そのお金は平時ではだいたい、株式市場に流れます。歴史的株高を連発していますね。

単にお金の行き場がなくて株式市場に流れているだけで、景気が良いわけではないですよ。

景気は最悪なのに株高。もう末期症状なのです。

それから世界中の国が今後は米国産のワクチンを買うのでしょうから、

その前に自国通貨を売ってドルを買いますよね。

ドルを持ってないと米国からワクチン買えませんからね。

つまり、株高とドル高は想定内の動き。普通。

しかし、銀や金、プラチナなど貴金属市場が上がるときは、どんなとき?

有事の時です。あとは米国債や日本円、スイスフランがリスクの低い安全資産の代表です。

こっちにお金が流れた時は要注意です。投資資産から安全資産へ資金を動かしたい何か、有事が起きるかもしれないということ。

ただ、超富裕層と僕たち一般人では、触れられる情報に大きな差があるので、

「おやおや?何だこの値動きは?」と変動を見てから反応するしかないでしょう僕らは。

まあ、金融市場の事はこのぐらいにして。

僕が今日書いておきたいことは別にあります。

それは職業の本質について。

答えは誰にもわからない。考える事に意味があるので。

農家って本来はどういう役割の人だろう?って事を、よく僕は考えます。

お米や野菜等をつくって人々に売るというのは、

単に現代社会での農家の姿でしかないでしょう。

今の経済社会では単なる生産者ですが、

もっとずっと遠い未来では農家とはどういう役割なのかな?と考えるわけです。

SF映画のような科学技術バリバリの世界、あれは未来の姿じゃありませんよ。

過去です。超古代文明があっち。

何故なら進化のベクトルは、自然と共生する方向に向いているからですね。

そういう意味で縄文時代は先進的だったわけです。

あべこべなのですこの世界。

地球の調和を無視する方向性を進化と考えているのが現代人ということ。

過去はもっとそうだったから、科学技術は現代科学より進んでいたんでしょう。

でも大丈夫。こっちが正しい進化の方向性ですから。僕たちちゃんと進化してます。

まぁだから、科学技術が暴走してきた現代社会は、進化のベクトルから外れて退化してきたので、もう終わりが近いよねと見るわけ。

簡単な事でした。

さて、話を戻します。

僕は農家に限らず色んな職業を想像してみるわけです。

例えば、お寺の住職さんはお葬式や死者の供養をしますが、

それはほんの一面ですよね。

本来は、ご自身が修行の末に獲得した仏道の智慧というものを、

生きている人々に説き、多くの人を苦しみや悲しみから救って、

幸せな人生を全うできるように導くことがお坊さんの本来の仕事ですよね。

はたまたお医者さんは、

患者さんを診断して必要な処置をしたり、

薬を処方したりの対処療法をするのが本来の姿ではなく、

そもそも病気にならない健康的な生き方とは何なのか?と根本療法を研究し続け、

人々を心身の健康へと導く役割の人ですよね。

そんなふうに、本来の職業の役割を想像してみるわけです。

お金のない社会だったら、この職業はどんな姿なのだろうか?って。

何でそんな事を考えるかというと、進む先が見えた方が、

少しでも早く人類がそこに到達出来ると思うからです。

僕が思う農家とは、自然と人間を繋ぐポジション。

衣、食、住に携わる人は皆そう。

僕はそのうちの食に関して、自然と共生する為に存在するポジション。

自然の循環の一旦を人間が担い、

人間は自然の恵みを得る。

そのバランスを守り、自然の循環を維持する役割。

出来る事なら、自然とコミュニケーションをとり、自然から学んで得た知恵を人々に伝えたいと思っています。

そんな風に時々は想像をして、少しずつ農家という職業の本来の姿を組み立てているわけです。

どんな職業も、新しい意味を持って生まれ変わります。

どの職業が偉いとか、上とか下とかもなく、互いに尊重しあって協力して、地球という星で生きていく。

その時に自分は社会でなんの役割を担うか。

皆さんも宜しければ、今から考えておいてください。

ありがとうございました!