皆さん初めまして。道志自然農園を営んでいる粟野隆文と申します。

僕は36歳、2児の父です。3年前にここ道志村に移住して就農しました。

僕のしている農業は無農薬無肥料の自然栽培農業です。

野菜の出荷先もスーパーとか農協ではなくて、個人宅に野菜セットを発送する農家です。

僕が大切にしていることは「植物の力を信じる」という事です。

ほとんどの植物は一粒の種からたくさん増えます。一粒万倍っていう言葉もあるくらい。それはつまり、過酷な生存競争が当たり前で、どんな厳しい環境下でも子孫を残すぞという意思の現れだと思います。

そして、植物に愛情をかけると言う事は、人間が人間に愛情をかけるのとは違います。

僕が農業者として普段気をつけていることがあります。

それは植物に対して何でもかんでも人間側の考えで過保護にお世話をするのではなく、その子の生命力を「信じる」こと、

それから、植物に接する自分自身の精神状態を常にコントロールし、決して自分の波長をネガティブなものにしない事です。

植物は人間の精神状態にとても敏感です。周囲の環境に適応する能力が高いので周囲の波動を吸収してしまいます。

人間の思考も周波数であり波動だと思います。

もし人間がイライラしたりネガティブな思考の時に種まきをしたら、それを吸収してしまってなかなか芽が出なくなります。

セルトレイに100粒くらい種を蒔くと、自分がネガティブなことを考えている時に蒔いた種は発芽しなかったり、異常なほど遅かったりするのが目で見て確認できます。

一説には、種を口の中にふくんで、それから植えるとその人の健康状態を種が察知して、必要な栄養分を多く供給してくれる野菜に成長するとか。

そうやって植えた植物は薬草のような働きをするらしいです。

確か、アナスタシア農法だったと思います。

僕はそれはまだ実践したことはないですけど、人間がまだ知らない事がこの世界はたくさんあるんだなと思っています。

人間は感情の起伏が大きく、まわりの植物へ与える影響力も強いと思います。

そんな人間があまり植物に手を掛けすぎると、生命エネルギーが弱い植物になって、それは過酷な自然に順応する力のない植物になります。

人があまり足を踏み入れない森の奥深くに行くと、生命エネルギーが満ち溢れているのを感じます。森の中の植物は病気にならないらしいです。

それを目指して、僕もこの山村でなるべく自然に任せて畑や田んぼをやる事を心がけています。

この自然界の生命エネルギーというのは科学的にはフィトンチッドと言うそうで、

森林浴で血圧や脈拍が下がるのは、植物が放射するこの揮発性物質の効果なんだとか。

手入れされた植物はあまりフィトンチッドが放射されず、その癒やしの効果も弱くなるそうです。

確かに、売っている花と自然に生えている花では放つオーラが違います。

すると部屋に飾った時に、周囲に与えるインパクトが違ってきます。

野生の花なんかは最高です。敏感な人は気分が落ち着いたり、明るくなったように感じるはずです。

そういった観賞用のお花でなく、野菜やお米などの人が食べる植物なら、なおさら人間に与える影響は大きいと思います。

食べたもので人の身体は作られるわけですからね。精神にも大きく作用するでしょう。

そんなこと言いつつ、僕はマック好きですけどね。たまにこっそりやらかしてます。

さて、草がぼーぼーに生えている耕作放棄地に野菜の種を少し撒くと、ほとんど草に負けてしまって成長しないです。

草は元からそこに何年も生えている古株であって、新参者の野菜の種は生存競争に負けてしまうわけですね。

生命エネルギーが強い野菜を作ろうと思ったら、「良い加減」が必要だと思います。

時々は草をどけてあげたり、地表の表面だけを耕してあげたり。

自然に手を加え過ぎず、放置しすぎず。

そうしてその土地に野菜が馴染んできたら、力強く成長してくれるようになります。

今年は去年よりは手を加えています。気候変動が年々激しくなっているので。

しかし最近は田んぼやクレソン、サツマイモを植えていたので、畑は放置気味でした。

先月に蒔いた四角豆、草に負けちゃったかなーと思いつつ、様子を見ると見事に成長していて嬉しくなりました。

そして畝を久々に草むしりしておきました。
生えてたアスパラをポリポリかじりながら。

現代の農業は「経済活動」の歯車に組み込まれているので、

そのやり方は命を育むというよりは、工業製品を生産する事に近いと思います。

植物が生き物だという感覚が薄れてしまった現代社会は、それを食べている人間自身もロボット化してしまっている気がします。

現代農業は農薬、肥料、大型の耕作機械を使って、いかに効率よく生産するかが重要視されています。

僕はそれはそれで良いと思っていて否定するつもりはありません。

そういうやり方をしないと、1億もの人口をこれまで支えてこれませんでしたから、必要だったのだと思います。

ただ、選択の自由が僕たちにはあります。

何を食すか、何を食べないかは自由です。

生命エネルギーに満ちた野菜やお米を食べたいと思った人が、ちゃんと選べるように、

僕のような自然栽培農家は昔ながらの栽培方法で農業を営んでいるのです。

生命エネルギーに満ちた野菜というのは、人間の味覚にもちゃんとそれが反映されると思っています。

「味が濃くてそのままでも美味しい!」

と言われる野菜を作り続けたいと思います。

家庭菜園をする人や自然農家が増えて、生命エネルギーの高い野菜を食べる人が増えたら、人間社会も愛のある方へ変わっていくだろうと思っています。

ありがとうございました。

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