こんにちは☺
今日はママです。

昨日はパパが海で溺れた話をしていましたね。

ブログに書くと言ってママにもその話をしてくれたんですが、海の浅いところとか深いところとかいう単語を聞いていたら、急に心にバリ島のタナロット寺院が現れ、その美しい夕日の景色と、哲学の講義にあった海の話が一気に浮かんできて、パパの話は全く耳に入りませんでした……

ごめんねパパ。笑
ちゃんとブログで読んだからね😁

タナロットの夕陽と飛行機からの朝日…
このふたつを思い返して、ヨガ哲学の講義で言われていた
「全てはもうそこにある、ただ見ていないだけ。」
という概念が、急にすっと胸に入ってきました。

講義のお話はこんな感じ。

「現実は海のようなもので、いつも波があって上がったり下がったりしているが、海は広い。

自分は本当は何もする必要はない。
探しに行ったり選ばなくても。
海は常にそこにある。

海があるということは、海の底の穏やかな部分はいつもある。

波は深海よりも表から見えやすいが、波だけを見てそのものが自分だと思い込む必要はない。

常に海の深い部分があるということを忘れない。
そのひとつの瞬間に留まる必要はない。
波の上を泳ぎながら、深海に身をゆだねるということ。

完全な状態はない。常に流れていく生きもの。

もがくことをやめて。

波乗りが辛いこともあるでしょう。
でも深海が同時にそこにあることを、忘れないでいる。
波があるのだから、動いていく。

手を離すこと。
すると平穏が自然と浮き上がってくる。
そこに到るには、自分自身を差し出して、この場に出てくる。

ただいつも、あるはずの空が、都会には存在しないかのように感じられている。

広々とした場所が絶景スポットと言われ、空がきれいだと言われる。

空も、広い大地もどこにでもある。
表面が色々なもので埋まっていたとしても。

常にそこにあるものを、自分の解釈で無いとか見えないとか、この形容の仕方、人生の見方そのもの。」

あぁ…言葉にするとあまりにも当たり前のことなのだけど…
急にこの定義が腑に落ちた瞬間。

常にこの感覚を持ち続けたいです。

では、今日もありがとうございました☺
Thanks for reading!