「今日は何の記事を書いたらいいでしょうか?」

目を閉じてそう投げかけると答えが帰ってきます。

そして、チョロチョロとイメージが流れて来るのでした。

実はこの方法、誰にでも出来る方法なのです。

ちょっとコツがいるだけです。そのコツをお教えしますので、少しずつやってみて下さい。

コツは「自我」を弱くするという事です。

キリストは自我を「原罪」と呼び、ブッダは「苦」と言いました。

自我というのは妄想であり、事実とは異なる幻想なのです。

自我とは何なのか、わかりやすく説明しますね。

まず、ご自分の右手を見て下さい。

右手の中指がある日突然「自分こそが〇〇だ」と貴方の名前を言ったらどうですか?

「いや、おまえはアタシじゃなくて、ただのアタシの指だろ!勘違いしてんじゃないわよ!」

とツッコミを入れたくなるでしょう。

そう、その指の状態が、まだ自我を強く持っている貴方です。

単なる貴方の指のくせに、自分こそが〇〇だと貴方の名前を名乗る。

それは言い換えると、

全体の一部でしかないくせに、あたかも切り離された個の存在のように振る舞うということなんです。

それって、僕たち人間なんですよ。

僕は脳梗塞をしたとき、はっきり見えた。みんなエネルギー的に繋がっていた。

何も断絶してなかった。

アナタとワタシという違いは錯覚でしかなかった。

とまあ、僕がいくら説明をしても信じれないでしょう。わかります。

自分もそうだったから。

僕たちはわずかな可視領域や可聴領域しか、目で見たり、耳で聞いたり出来ません。

それはほとんど見えていないし聞こえていないのと一緒ということ。

それなのに、全てを知った気になってしまうのです。

自分では確かめていないことも、教科書に書いてあったら信じてしまう。

一度信じてしまうと、それ以外のことは中々受け入れられなくなってしまう。

進化の中でそういう性質を獲得したのでしょう。記憶を上書きするのは難易度が高いようにと。

だから大勢の人がそう。

僅かな人が、もしかしたら、人間の認知能力は不完全なのかもしれないな。

新しい考えも悪いものじゃなさそうだって思ってくれればいいです。

話を戻すと、イメージやインスピレーション、直感を得るには「自我」を弱くせにゃならんという事。

要するに、「自分は全体の一部である」事を意識して、

個の欲ではなく、全体の為の利益を望むようにする。

そうするとね、気づきますよ。

降りてくる色んなメッセージに。

例えば、この話をしたついでに他に記事に書くべき内容はあるかい?

って聞くと。

「あるがまま」と「わがまま」の違いを書けと言ってくるわけ。

だから書くけど、

「あるがまま」ってのは他人の「あるがまま」も受け入れるよってこと。

「わがまま」ってのは、他人の「あるがまま」は受け入れないよってこと。

農業者としては沢山感じる事があります。

獣害対策も草刈りも、農薬も肥料も、人間の「わがまま」だよなって。

そう思いながらも、やっちゃうんだけどね。草刈りとかは。

ま、バランスだね!大切なことは!ゴリ押ししてもしょうがないからさ。

ゆっくりゆっくり、時間をかけて信頼を得て行く事が道筋かな。

地球上の皆が、この「あるがまま」の状態になって、

宇宙の叡智からの色んなメッセージやインスピレーションを得れるようになっていけば、

人類はもう間違えないと思う。

いったん、これまでの世の中の過ちを精算しなきゃならないから、

過酷な時代に入るけど、

それも長くは続かないから。

僕たちは個じゃないよってこと、時々思い出して欲しい。

ありがとうございました!