終戦記念日に思う

子供の頃、小学校の体育館で「火垂るの墓」を見ました。

繊細すぎた僕は気持ちが悪くなってしまい、吐きました。

しかも、しばらくショックで夢にも出てきました。

それ以来、火垂るの墓は1度も見ていません。いい映画なのに勿体ないですね僕は。

ちなみに宮崎駿ファンです。

1番好きなのは「天空の城ラピュタ」です。

同じように子供の頃にショックを受けた映画が「アダムスファミリー」でした(笑)

たまたま友達の家でそれが流れていて、少し見たらもう、どよーんと気分が悪くなってしまって、

家に帰って寝込みました。

「て、手が動いてる!」それがもうグロすぎてショックだったんですね。

昔の僕は本当に繊細だったのです。

アンパンマンやウルトラマンや仮面ライダーも、なかなか受け付けなかった。

なんでやっつける必要があるのか理解出来なかったんですね。

昔読んだ本にマザー・テレサの言葉が書いてあって、

それを読んだときに納得してしまいました。

「反戦デモにはいかないけれど、平和集会には行くわ」

というもの。

その真理は、何かに抗う、反対するという事は究極には戦争と同じエネルギーであり、

戦争を反対する事に意識をフォーカスするのではなく、

平和を感謝し喜ぶことに意識をフォーカスする必要があると言う事です。

僕も同意見でした。

存在を知る事は必要です。

けど、「戦争反対!」とそれを行動に移してしまう事には疑問を感じていた子供時代。

今ではタフで、グロい映画もハッハッハと見れますけどね。

でも、基本は変わりません。僕は戦争反対はせずに平和集会に行く派です。

さて、戦争はいつ無くなると思いますか?

それは一人ひとりから、他者を否定する心が無くなったときです。

自分と違う価値観を「それはそれで、いいんじゃないかな」と許容できるようになった時。

世界人口の過半数がそうなった時です。

だから、まだ先ですね。

普通に生きていれば、誰だって何かを否定したりするというもの。

僕だってまだあるかもしれないです。たぶん無いけど。

てことは、まだ世界的な戦争は十分起こり得るという事です。

第3次世界大戦。

そこに巻き込まれるかどうかは、一人ひとりの心が「誰かを否定していないか」によります。

淘汰される側と、生存する側と、わかれますよ。これから。

自分の心が現実を作ります。

特に寝起きと寝る前、意識がボヤンとしている時に普段何を思うかが重要です。

ありがとうございました!