僕がまだ20代前半の頃、水に言葉をかけると結晶のカタチが変化するという実験が書いてある不思議な本を読みました。

沢山の水の結晶の写真が掲載されている本。

江本勝さんの「水は答えを知っている」です。

コップに入れた水に「ありがとう」「愛してる」などのポジティブな言葉と、

反対に「ばかやろう」とか「嫌い」とかのネガティブな言葉をかけると、

その水を冷やして結晶化させたときのカタチに、明らかな違いが見れるというもの。

僕も「え?ホントに?にわかには信じがたい」と思い、その実験に反論する論文も読みました。

反対論文の説得力としては、あまり高くなかった。

そんな事がある訳がない、という決め付けが強く、実験の不備を指摘するものでした。

それから時が経ち、最近読んだ「第4の水の相、固体・液体・気体を超えて」という

著・ワシントン大学博士 ジェラルド・ポラック博士の本。

本の中に江本勝さんの名前も出て来ていました。大変影響を受けたと。

この本はそのうち記事にもしようと思いますけど、

簡単に言うと水には半固体という状態があって、そこが情報を記憶する性質を持っていることを発見したというもの。

情報とは振動数、波動の事です。

なので、水に言葉をかけるとその波動を記憶するので、結晶化したときに違いが出るというわけです。

つまり、江本勝さんの本から約20年後の現在、年月を経てジェラルド・ポラック博士によって科学的に水が情報を記録するという事が証明されたというわけです。

他にも、僕が知っていて世の中がまだ認めていない知識の1つに、

「植物には意識がある」という事実があります。

こちらは科学的実験に裏打ちされた確かなものですが、植物学会が認めないので表の常識にはなっていないというもの。

それから、水の魔術師シャウベルガーもそうだし、ホメオパシーもそうだし、ウィルスの感染もそうだし、瞑想の効果もそう。

色々と科学的に実験されたのに、学会で認められなかったり、まだまだ常識にはなっていない事は沢山あります。

まあ、僕は科学者ではないので「今はオカルトかもしれないけど、いつの日か常識になるだろう」と思って、自分が活用するだけにしています。

その最たるものに、エドガー・ケイシーがいます。

僕が今読んでいる本は、エドガー・ケイシー文庫の「転生とカルマの法則」という本です。

また、怪しい本を読んでいます。

スピ系の本が好きだから、片っ端からソッチ系をよんでいるのではありません。

ピンポイントで「次はこれを読むべきだろう」と思って読んでいます。

僕にとっては点と点が繋がって、その結果としてこの本に辿り着いているので、

読んでいて非常に納得がいくわけです。

若いときは「え?ほんと?信じがたい」と思っていたけど、

今では「やっぱりそうなんだ」と納得がいくわけですよ。

転生とカルマ。普通は輪廻転生があるって事を、まず納得するまでに時間がかかりますよね。

そしてそこに納得がいくと、ランダムではなく法則があって輪廻転生していることを知るのだと思います。

そこで、その法則こそがカルマなんだなと知ることになります。

そこまで到達したら、見る世界が変わり始めます。

カルマというと悪い事、ダルマというと良い事を言いますが、

人生はモロにその影響を受けるわけです。

逃げ切れない。自分で設定してきていますからね。これを克服するって。

では、どうしたらカルマの影響を全く受けずに人生を生きる事ができるか?

と僕は考えるようになりました。

簡単な事でした。

小学校から中学校に上がるのと一緒。

九九を覚えたらもう当り前に暗算で出来ますよね。

つまり、さっさと学んで飛び級しちゃえよってことです。

カルマの影響を受けない為には精神的に成長しちゃえば良いという事。

仏教を知り、キリスト教を知り、宗教の中に伝わる普遍的な部分を知り、他にも論語を知り、道徳というものを身に着けて生きていく。

まずは知ることから始まらないと。頭の中に無いものは実践しようがない。

精神的に成長してしまえば、カルマなんてのはお役御免で、消えてなくなるわけです。

お祓いしたり、ツボ買ったり、御札かったり、そんなこと必要ないです。

ただ、自然を尊重し、自分より明らかに偉大な宇宙という存在を敬い、身近な人に愛を振りまき、全ての命に感謝して生きていく。

そう決めたらもう、その時から人生が変わりました。ただの1度も、アンラッキーは起きない。

ラッキーしかない。何が起きてもラッキーとしか受け取らない。

だから、結果オーライで全部「吉」とでる。

僕も散々、悪い事してきましたよ。今も聖人とは程遠い。

でも、最低限、野蛮ではない。機嫌を悪くすることはまず無い。

昔はぶん殴ってましたからね。成長したなと思います。

まあ、話を戻すと、

時々自分を客観的に見ると「ああ、だいぶ常識からは乖離してしまったなぁ」と思います。

もはやオカルトを「信じるか信じないか」のレベルではなくなってしまったのです。

どう活かすか、どう発展させ展開し、後世に伝えていこうか。

と、考えるわけですから、かなりアレですね。

僕のような変な人が世の中には沢山いるんだろうなと思います。

皆さんも、気軽にオカルトを楽しんでみては如何でしょうか?(笑)

次は瞑想について書こうかな。

ありがとうございました。