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スキーシーズンが終わってからは毎週のように友達を誘って繰り出しているご近所シーカヤックキャンプ。今週は珍しく二人だけで新しいキャンプ場を試してみた。そこがまた素晴らしくよかった。

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カヤックで近所の入江を横断したところのあるテントサイトから眺め

私達がいつも漕ぐエリアは北米最南端のフィヨルドといわれる深い入江。水面と同じ高さから張り出す岸壁を仰ぎ見て、360度見渡す限り人工物が見えない、太古からの景色の中をこぎ進む。

入江を一時間程で横断した先にはカヤック天国。

そんな場所が自宅から車で一時間半の場所にあると発見したのはつい数年前。

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長いことカヤックはフェリーに乗ってバンクーバー島に行ってするものと思い込んでいた。

初めてハイウェイ沿の公園からスタートしてカヤックで渡った入江の対岸でキャンプした時、森に囲まれたビーチからシャチの親子連れを見て、大都市バンクーバーの近くにこんなカヤック天国があるのを知って大いに驚いた。

それからは週末カヤックツーリングにば大抵ここに来るようになった。‌‌

テントサイトからスタート地点方向を眺めて

森の中にある私達の家から一時間半の非常にお手軽なこのカヤックフィールドも問題がある。それはフィヨルド特有の強風だ。ここスコーミッシュという土地の名前の由来は先住民の言葉で強い風が吹く所。カイトサーファーが風を楽しむ人気スポットでもあるこのエリアは、地形上、毎日のように強風が吹く。

スタート地点から入江の対岸までは一時間ほどのパドリング。開始早々、風と波の中を真横から受けて、対岸まで辿りつくかがポイントだ。

海峡横断中は景色もとくに変わらず、見えてる向かいの到着地は漕いでも漕いでも近づいているような気しない。それでもひたすらに、漕ぐ。漕ぐのをやめると流されるので休まずに、漕ぐ。

カヤックを始めて数年は、身体中痛いし、当時は船酔もしたし、波には緊張するし、洋二郎君はいつもはるか彼方だし、苦境を乗り越えるために、文句を言う事でエネルギーを起こしていた私は、いつもブーブー言いながら洋二郎に必死でついて行っていた。

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今も必死だが、必死ながら、力を抜き、あたかも必死じゃないように運動する境地(笑)を体得したため、不思議なくらい体も痛くなく、文句も出てこない。

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とはいえやはり能力の差は歴然としている。なんせ相棒は一人でアラスカからカナダまで漕いで下ってきた経験がある。さらにこの区間を漕ぐ人は通常、安全を考慮し内海を漕ぐところを、わざわざ彼は外海を漕いだ。3ヶ月近く同じ運動を繰り返すと、身体にとってパドリングは歩く事と同じくらい自然になるのではなかろうか?

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しかしあまりにも遥かかなたに漕ぎすすんでしまうと、私に何かあった場合戻ってくるのも面倒なので、強風と荒波の際はロープで私の船を牽引する洋二郎。しかし私としてはそれでも来る波を交わしたり、バランスとったり、もちろんお荷物にならぬように全力で漕ぐので、緊張感は変わらない。

ドッパーンと波が横で割れて全身びしょ濡れになっている私を尻目に、洋二郎くんが「楽しいな〜」とつぶやく。その声色は例えていうなら桃色。お花畑にいるかのようなトーンなのだ。これは次元が違う。

後で、びしょ濡れだね。と言ったら大して濡れていないという。この高波の中で濡れてない⁇本人曰く濡れないように漕いでいたという。

やはり次元が違う。濡れるか濡れないかなんてわたしには考えている余地はなかったし。

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しかしこのところ確信したのは、この波、洋二郎が無意識でコントロールしているのじゃないか?という事である。アウトドアスポーツを長年やっていると、天候と人間の潜在意識は関係があるという事に気がついてくる。晴れ女、雨男が迷信だけでは片付かないとわかる日はそう遠くないと思っている。

なぜ確信に至ったかというと、高波を超えて行くのは厳しいと思われるゲストの時は不思議なくらい海が穏やかなのだ。これまでの経験によると、基本的にゲストのポテンシャルに応じた天候が用意される。結構体力忍耐力があるとみなされたゲストの場合は風と波が必ずついてくる。

ある時わたしは問いただした。「洋二郎くん、風吹いてほしいと思ってるでしょう?」

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洋二郎:「うん。だってそれくらいじゃないとつまらない。」

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やはり…。

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ちなみにカヤックエキスパートの洋二郎、仕事の時も荒波がお好みのようだ。その件に関しては本人は全く望んでいないとの事であるが、あくまでも潜在意識の話である。

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ああ、洋二郎くんは実は人生の達人なので、荒波をお好みなのだな。と私なりに納得し、憐れみの気持ちは一切不要、お好きなだけ荒波を行ってくれ。と思う私であった。