こんにちは☺
今日はママです。

バリでのヨガ留学中のお話。

ヨガ哲学の授業、先生はやわらかい可愛いおじいちゃんのような人で、全く偉そうでもなく、厳しくもないのですが、とにかく何かわからない何かが、普通ではなかったです…

お部屋の真ん中に座禅の格好できっちり動かないまま、まず目を閉じて講義の時間まで待ち、始まるとゆっくり語って3時間いつの間にか過ぎているのです。

聞こえないくらいの声でしゃべっていたかと思うと、話にひきこまれて気がつかないうちにとても情熱的で大きな声になっています。

座っているのを見ていると何となく、そういうのが全然見えない私でもオーラを感じるというか…

これが彼の講義にもあった
「心を開いている状態」
なのでしょうか??
横にいるだけで感じられる穏やかで静かな空気。

「心を開いている状態でありなさい」
という彼の教えの講義の内容を載せてみます。

この先生の講義に関しては、理解するというより話をそのままノートに書き取っておいて、読み返しながら感覚で理解するやり方を徹底して、理解ができない文章であっても、丸々そのまま書き取っていました。

不思議とその時々によって、これらの講義のお話を聞いた時の感覚は異なります。

(ノート2013.10.17より)
心を開き続ける努力をする
自分を観察し続ける
心が開いているか
開き続けることができるか
それには何の目的もない
小さな子供にでも心を開くことはできる

人生の中にまっすぐの道はない
まっすぐと思っても後ろに戻っているかもしれない
転んでもまた起き上がって進むこと
自分の周りに起こっていることは自分の反映
自分の心が混乱しているため

私たちの本質は心を開いている
心を開くということは定義付けはできない
心には心の理由があるが理解はできない

疑問を持ち続けるということを受け入れる
それを考えていくという意味を持たせる
それにはとても意味がある
外から入ってくる情報にはパワーがない

疑問の中にただ生き続ける
精神が答えを求めてイライラすることは普通で、疑問を持っている状態を受け入れると新しい何かが開かれる
疑問を受け入れるということは混乱しているということ
分からない、疑問がある、混乱している、それでも安定していること
疑わしさと共に歩むことを受け入れる
(おわり)

こういう感じでツラツラと話し続けます☺

書いてから読むと意味不明でも、彼の声で実際聞いていると、心にスーっとそのまま入ってくることがよくありました。

本当に心を開いている人の言葉って、心が乗ってるんだなぁとしみじみ思いました。

私もちゃんと一言一言、心を乗せた言葉を使って話せる人になれればなぁと思っています。

そのためにはいつも「心を開いた状態」でいないとね☺

先生直々の講義を聞いていただけないのはとても残念ですが、この文章から、皆さんはどのようなことを感じ取るでしょうか??

では、今日もありがとうございました♫
Thanks for reading!