山の中にある我家の横は崖になっていて、その下には裏山から流れきた沢が通っている。

11月中旬の大雨で沢に鉄砲水が発生し、家の前の公道が流された。降り続いた大雨により沢の上流で土砂崩れが発生。土砂と倒木は流れながら木々の間や地形の至る所で堰き止められてダムをつくり、沢は限界を越えたところで決壊。家にいた私は爆発音のような沢の決壊時の轟音を数回に分けて聞いた。通常は足首からスネ程度の水深しかない沢も、川沿いに堆積した土砂や倒木から察するに、少なくとも高さ数メートルになったようだ。

鉄砲水の翌日。川が道路を横切り、周りは土砂が散乱していた。

今回の大雨はカナダBC州西部の広範囲で発生し、主要幹線道路が幾つもの土砂崩れにより崩壊し通行止め。我が家の裏山で決壊した沢は少し下流にある線路にも被害を出した。また、私の職場ティペラへの湖沿いの未舗装路も復旧に時間が掛かっている。普段でも陸の孤島のような所だが、土砂崩れにより電柱が倒されて停電が数日続き、まるで川と化した道を走れる車は限られているため、集落に暮らす人達は買い出しに出てくるのも困難な状態である。


幸いにも私達の家は高台に位置し、決壊した沢は崖の下を流れるため、家には直接被害は無かった。その後、地質学者による調査により、沢の上流の地面には30mに及ぶ大きな亀裂が走っており、今後も土砂崩れとそれに伴う鉄砲水が起きる危険性が非常に高いという事が分かった。この亀裂は数日中に崩壊するかもしれないし、100年このままかもしれないらしい。現在、我家を含む沢の上流にある家々には避難勧告が、隣家を含む沢の下流は避難命令が出ている。


流された家の前の公道の工事も時間がかかり、未舗装路の私の通勤路も悪天候続きで復旧の見込みがたたず、職場の保育園にも行けない私は籠城生活が続いている。

いつか川の横に小さな小屋を建てようと計画していたが、しっかり土砂で覆われている。ちょっとここには建てたくないね。

海や山に出かけて、大きな自然の懐で、天候の変化によるダイナミックで時にはハラハラする体験をしてきたけれど、まさか我家でそれを体験するとは思いもよらなかった。あの日、自宅で尋常ではない降り方の雨の音を聞きながら暖炉の前に座っていると、雨音が突然雪崩のような轟音に切り替わった。ベランダのドアを咄嗟に開けると、決壊した川がゴウゴウと流れる音。山全体が唸っていて水の壁がどこから来るかわからない恐怖を感じた。とにかく身近に起きた自然災害を前にして、家にいるばかりで時間もあるし考えがめぐる。


数日前、地質学者が調査したところ、鉄砲水が起きた沢の上流に100年程前の小規模な鉱山跡が見つかった。今回の大雨によってその一部が崩落して、鉄砲水を起こした土砂崩れの一要因となったらしい。


また、隣村を繋ぐ分断された国道の上空写真を見ると、急峻な山に残された林道から地崩れが起きた事は明らかだ。人間の爪痕が起因している事は否めない。しかし、一方で、こうしたき弱性はもう何年もそこに存在していたのだから、今を選んだかのようにエネルギーを爆発させている自然の意思を感じざるをえない。

我家の土手から、変わり果てた敷地内の川を見下ろした時、鉄砲水が薙ぎ倒していった木々よりも、その後に安全対策のために入ったユンボが片付けた、のっぺりとした護岸工事の後のような沢を見た時に胸が痛んだ。7年前に土地を購入するか決断するために、苔むした針葉樹の立ち込む川に初めて足を踏み入れた時の、神秘的で厳かな気持ちが浮かんできて、その変わりように悲しくなった。


しかし考えてみれば、私の家だってもとは森だった所を木々を倒して開拓して立てた。家に使われている木材は、林業のトラックがどこかで伐採された木々を運んできて製材されたものだ。


我々の便利な生活を成り立たせてくれている社会構造は、今至る所で綻びを見せ始めているが、どんなに文句を言ったところで、その社会の上に私達の生活とこれまでの人生がある。最近思うのは過去を非難しても始まらないということ。しかし、過去の過ちや、もう時代遅れで不必要になったやり方には気がつくべきだ。必要なくなったと認識したら次に行けるのだから。

土石流が起こる前の川

外側で大きな自然のエネルギーが動けば、私達の内側でもエネルギーが動くのは自然の摂理である。内側のエネルギー、感情が動かされて、悲しんだり、恐れたり、怒ったり。それでいいのだ。私が沢の変わり果てた様子を悲しんでいる時に洋二郎君が言った。


また6年くらいたてば元のようになるよ。


たしかにね。悲しいという私の感情をよそに、自然はどんどん変わっていく。そして物事は常に流れている。濁っていた沢も元の透明度を取り戻した。家の前の道も仮設だが開通した。最近感じるのはもうありがたさだけだ。今ある命に、近所の人達の無事に。

毎日は刻々と、ありがたさだけを数えて流れている。