こんにちは☺
今日はママです。

移住4年目にして今年になってからようやく、
野草仕事、
梅仕事、
栗仕事、
胡桃仕事などなど…

村ならではの産物の恩恵をいただく小仕事を始めました☺🌰

野草も木の実も、まず探すところから始めて、採ったり拾ったりした後は諸々の下処理…
虫を取ったり、洗ったり剥いたり…

その後ようやく加工したり、料理したりして食卓に並ぶという、普段よりいくつか手間の多い手順を踏みますね。

その下処理部分というのはまさしく、愛しきめんどくさい仕事です。

間違いなく面倒くさい仕事なんですが、それらの味同様、なんだかほんのり甘い愛しさが湧いてくるのです🥰

ほとんどの食材は、そのめんどくさい下処理が済んだ状態で買ってくることができる現代。

それなのにこのアセンション中の現代に、なぜ今更こういった小仕事をやる気になっているのか、自分でもよく分かりませんでした🤔

というか、そもそも苦労して農家をやらなくても、仕事は他の事をしても食べ物は楽チンにお店で調達するということもできます。

だけどあえて農のある暮らしをし、
お店の少ない山間の田舎に住み、
都会ではありえなかった小仕事を始め。。

なんとなく思うのは、こういう仕事って必要に迫られてやるのではなく、この何とも言えない愛しさを思い出すためにやるものなのかなと。

確かに生きていく上で必要でもありますが、それはその仕事をする理由としては二の次なのかなと。

子供達ってよく
「全く無意味なめんどくさい仕事」
みたいな遊びをよくします😂

すごく試行錯誤して何かを取り出したり開けたりしたのに、
そこから何をするでもなくその作業を終えたり(゚д゚;)

何かをひたすら取り出して、
また一生懸命片付けてという作業を繰り返したり(゚д゚;;)

なぜやってるのか全くわからない!(゚д゚;;;)

でもわからなくて当然。
そこに意味はないんですね。
でも楽しいんでしょう😁

小仕事に対するほのかな愛しさというのは、
その楽しさに似ている感じ。

おそらく未来とか、次元上昇した暁には、今の技術さえも飛び越えて、
諸々全てのことがものすごく便利になり、やる必要のないことばかりになります。

だから人間は、本当に自分のやりたいことに没頭できる時代になるんだと思います。

そういう素晴らしい世界が待っています✨

もちろんこれまでの人間の歴史も、便利なものを考え出し作り出し、発展してきたことは素晴らしいと思いますし、私達もその恩恵を大きく受けて日常生活を送っています。

ただ、そちらに偏りすぎて忘れてしまっている何かを、今思い出す必要があるのかもしれません。

こういう自由な小仕事にありつける村の生活を、本当にありがたく思っています🥰

こういう、ふっと湧いてくる小さな愛しさの光を、何をする時も胸に持っていたいものですね。

本当は前回の続きのような記事をずっと書いていて、なかなかきれいに書き終わりません。
多分そのタイミングにも意味があるのでしょう。

なので、突然さらさらと書いた珍しく超ライトな小話でした😁

では、今日もありがとうございました♫
Thanks for reading!