二極化したら中庸を取るべし

今日は久々にきた!!しかも夫婦揃って。

インスピレーションです。

では行きます。

今、世の中が割れてますね。

打つ派、打たない派。

それぞれに理由、言い分がありますね。

ネットで色々見ますね。

そして誰もが沢山考えて、最終的に自分はどっちにするか決めるわけです。

皆、どっちかになる。

そこまでは普通ですね。

せいぜい、コレコレこうだから、こっちの選択肢を選びました!!って主張するくらいです。

その次の段階に「中庸」があります。

「どっちかを選んで終わり」というのがこれまでの時代の価値観です。

そして「違いを違いとして認め、その上で和合する」というのが、これからの時代です。

それは、自分が選んだ答えに固執するのを止め、対極にある意見を理解しようと努力する事から始まります。

中ぶらりんに、どっちでもいいや!ということではないです。

まず悩みながらも決める。

その次にそれを引っ込める。

そして、対極にある意見を理解しようと努める。

最後にその対極にある意見を包み込む。

というプロセスを辿ります。

対立の最終段階に戦争があることはご存知でしょう。

人類の歴史は戦争の歴史でもあります。

対立したら最後は武力で制圧してきたのが人類です。

そんなことを続けた結果、人類はいつの間にか支配する者と隷属する者とに収束していったのです。

いつまで、その段階に留まっているのでしょうか。

ここ、いま。

まさに、いま。

その殻をぶち壊して、新たな段階へと進化する時です。

とはいえ、この物理世界。

身体は一つしかありません。

何かを選ぶということは、何かを選ばないということになります。

その物理的な制限が、これまで人類を二極化させてきた最大の制約です。

(例・打った人は打たない人にはなれない。というような意味です。逆もしかりで、打たない人でいるうちは打った人にはなれない。という意味です。)

しかし今、精神世界へと活動領域を広げようとしている人類は、その制約を超えることが出来ます。

物理的にはどちらかしか選べませんが、

精神的には無限に、自分と違う存在を理解できるということに気がつきはじめています。

男性でありながら、女性の気持ちもわかろうと努める事ができます。

日本人でありながら、外国人の気持ちもわかろうと努める事ができます。

打たないけど、打つ人の気持ちもわかろうとする事ができます。

あなた方は映画を観て興奮したり、感動したりする事が出来るでしょう?

そういう、「想像する力」を最大限に他者を理解しようとする事に使って下さい。

精神的な活動領域は無限です。制約はありません。

つまり、物理的には辿り着けませんが、精神的には「真ん中」「中庸」へと辿り着くことが出来ます。

これまでの人類は両極にわかれて争いました。

しかし、これからの人類は中庸へと、互いに歩み寄ることが出来ます。

精神的な時代の幕開けとは、そういう事なのです。

選択肢に中庸が出現したのです。

時間の問題です。先に中庸へ辿り導いた者は導きなさい。

はい。終わりです。

というね、インスピレーションがあった一日でした。

今日は、それぞれに全く違う事をしていた僕たち夫婦でしたが。

寝る前に子供を寝かしつけながら話をしたら、お互いにそういう事に気が付いた1日だったねと、報告しあいました。

世の中には沢山ありますよね、対立している事って。

対立があるところには、進化の種が隠されています。

こちらが中庸へと歩みはじめれば、あちらも歩み始めます。

という、インスピレーションでした。

ありがとうございました!