胎臓界曼荼羅(たいぞうかいまんだら)と読みます。

高校の修学旅行で、京都のお寺巡りをした時に曼荼羅をはじめて目にしました。

物凄く惹かれました。

「何だこれは!良くわかんないけど、すごく懐かしい!」

と見惚れてしまって、しばらくその場から動けませんでした。

そして、物凄くでかい曼荼羅が、ジワーっと浮き上がって見えました。確か東寺だったかな?

その時に「上から見た四角錐を平面に描いたんだな」と思いました。

要するにピラミッド型ですね。三次元以上のモノを二次元に表現したと言う事ですね。

カタカムナと同じです。

曼荼羅にはメッセージが込められています。

曼荼羅は宇宙の根本を表す大日如来を中心にし、405体の諸仏が周りに描かれています。

1番外側がピラミッドの1番下の段になります。

そこには餓鬼や夜叉や修羅が描かれています。

餓鬼とは飢えていること(絶えることのない物欲の連鎖)、夜叉とは攻撃的なこと(悲しみの連鎖)、修羅とは果てしのない争い(復習など怒りの連鎖)を好むことを表現しています。

ひと昔前の人類ですね。戦争が常だった、今より野蛮だった時代の僕達です。

日本もちょっと前まで「切捨御免」の時代でしたね。人をバッサリ斬る事が認められていたんですからね。

人類史を見たら、ほんのちょっと前までそんな野蛮な事をしていたわけです。

実は立体だった曼荼羅。本当は何を伝えたかったのか?

空海はきっと、現代の僕たちに伝えたかった事があるはずです。

「ずっと先の人類は、これの真の意味に気が付くはずだ」と。

空海はこの世の仕組みを描いたんだなと、曼荼羅を見るとわかります。

もちろんあの絵一枚で説明が完結しているわけではなく、仏教ありきでの曼荼羅ですけど。

僕達、生命体というのは曼荼羅の真ん中に向かって成長していくわけです。

階段を上がるように。曼荼羅でいうと内側へと。

そしてそれは、僕たちの「一生」だけで内側を目指すわけではありませんよ、「多生」をかけて到達していくわけです。レベルアップしながら。

地球は曼荼羅で言うところの、1番外側のレベルの星でした。これまでは。

これからは1つ内側を目指すというわけです。星の波動が上がったので。

次元上昇とは1つ上の階層へ上がる事です。

胎臓界曼荼羅はそういう仕組みを描いたものです。

ちなみになんですが、「袖振り合うも多生の縁」という言葉がありますね。

それは、例え袖が振れる程度の出会いだったとしても、前世からの縁で何度も何度も出会っているのだよという事です。

さて、本題はここからです。

ピラミッドの1番下というのは面積が最も大きいですよね。

その1番人口比が多いところに、野蛮な姿の餓鬼等が描かれているのは何故か?

それはですね。この宇宙には、まして地球人の僕達というのは、野蛮で貪っているのが普通なんだよってことです。

今はまだ、人類の全員が全員、崇高な精神性を持っている必要はないということなんです。

ダメな人がいてもいい。野蛮な人がいてもいい。むしろ、ほとんどがそういう人ですよという事です。

それが大前提だということなんです。

宇宙には1番多いわけですよ、人類のようなまだまだ発展途上の段階にいる種族が。

そんな中、この宇宙には少数の大日如来みたいな神々しい存在もいる。

そして、そのまわりにはそこを目指している存在もいる。

それがこの世界ですよ、という世界観を伝えているのが曼荼羅というピラミッドなのです。

中心に近い人は、外側の人の野蛮さを許し、自らの行いを通して導くことが修行。

外側にいる人は、内側の人がどうやって人生を精神的に成功させ、幸せに生きているのかを学んで実践に移すことが修行なのです。

つまり、お互いが精神的に成長するために必要な存在なわけですよ。

「それがこの世界ですよ」と、後世に伝える為に曼荼羅が残されたわけです。

ちなみに僕のこの知識は後のインスピレーションです。つい最近の。

当今は「なるほど」と納得しています。

だから、ここに書いて伝えています。

僕たち地球人は、いきなり中心にいる大日如来のような完璧な存在なんて目指さなくていいんです。

ただ、今日より明日、明日より明後日、今より少しマシになれればいい。

それだけの事です。

武力で領土を争っていた人類から一歩進んで、言葉も文化も宗教も肌の色も違う人達と平和的に共生する事が、地球人の目先の課題です。

それが曼荼羅の真の意味です。

ありがとうございました!

体重74.5キロ

今日は素手で菊芋ほりとサツマイモほりをしていたら、土の中が気持ちよかったです。身体から地中へ電子が流れ↓、逆に地中から僕の身体に電子が流れ↑、身体のメンテナンスが行われました。アーシングですね。