今日はちょっと高度にヘンタイ的な話です。

僕も自然農を営むようになった頃から、シュタイナーの農業系の本をいくつか読んだりしています。

シュタイナーの農業講座とか、バイオダイナミック農法とか。

それを読んでいていつも思うのは、表面的なやり方は分かるのですが、

シュタイナーの世界観を、理解しきれていないなと感じるのです。

多分、何回層にもなっているのでしょう。

ちゃんと詳細までしっかりと理解する為には、

まずはシュタイナーという人物の思想を、総合的に理解しておくことが必要なのでしょう。

しかし僕はまだ、その旅路を歩き始めたばかりで、その領域に到達出来ていないのです。

なのでまだまだ、シュタイナーの本は難しいと思いながら読んでいます。

なかなか、そういう人物はいません。

この場合、

理解できるという事は、その知識が同じ階層にあるということ。

理解出来ないという事は、その知識が自分よりも上の階層にあるという事です。

この感覚はかつて僕が19歳の頃に、中村天風の本に出会ったときと全く同じです。

きっと、すごく大事な事が書いてあるのだけれど、

僕自身がまだ未熟な為に、きちんと解釈できていないと。

まだまだ、噛み砕いてアウトプットが出来るレベルには満たないのだと感じました。

なので、シュタイナーの事も時折こうして記事に書いていくことで、やがて理解出来るようになるだろうという「攻めの姿勢」を取っていくことにします。

何でもやって見なくちゃ、進みませんからね。

シュタイナーは言いました。

「植物学は根源的な生命世界に目覚めることである」と。

これは、物凄く深い事を言っている1文だと言うことがわかってきます。

シュタイナーは「植物の存在を通して、生命としての本当の在り方がわかりますよ」と言っているのでしょう。

植物から何を学ぶかと言ったら、大きくわけて2つ。

1つ目は、その完璧な自然界のシステムです。

人間が多少それを壊しても、時間の経過につれて修復してしまいます。

2つ目は、植物というのが他の種族にとって完全なるギバー(与える者)であるということ。

人間はその2つの真逆にいますよね。

自然を壊し、奪取し続ける存在です。

また、人間は自然から乖離する未来を「進化」と考えています。

本当は植物のように、自然の一員として生きる事が「進化のベクトル」であり、「生命の在り方」だと、

そう僕は解釈しました。現段階では。

シュタイナーの文章は、本当はもっと多次元の情報を、無理やり2次元に押し込んだかのような文章に感じます。

だから、たった1文でも分解しようとすると膨大な情報量になるのだと思います。

それがきっと、ぱっと読んだときに?
「意味がわからん。。」となるのでしょうね。

これからも、自分なりにシュタイナーの文章を解釈していこうと思います。

さて、農作業いってきます!

ありがとうございました!