手塚治虫さんの話

僕は農家になってから、種は野口種苗というところで買っています。

手塚治虫さんと縁の深い種屋さんです。

手塚治虫さんの作品は読んだことがある人も多いと思います。

僕は「ブッダ」が好きです。

その手塚治虫さんは小学校の時に授業中に漫画を描いていたそうです。

先生は怒りました。

「先生の授業を聞かずに漫画を描いているなんて、けしからん!」

先生はえらく腹を立てて、お母さんを呼び出してその事を報告しました。

「ご子息が私の授業を聞かずに、ラクガキばっかりしてる!お母さんからも叱って下さい」

「先生、申し訳ありませんでした」

と、そういうやり取りがあったのでしょう。

お母さんは家に帰ると、我が子を呼びました。

「おさむちゃん、今日の授業中に漫画を描いて先生に怒られたんだって?

お母さんね、先生にそう聞いたんだけど、どんな漫画を描いてたの?お母さんに見せて頂戴」

手塚治虫さんは、

「うん、描いてたよ。はいよ!」

と言って漫画を描いていたノートを持ってきました。

お母さんは、黙って1ページ目から読みました。

読み終えて、パタッとノートを閉じてこう言いました。

「おさむちゃん、とっても面白かったよ。

お母さんは世界で1番目のあなたの漫画のファンになりました。

これから面白い漫画を沢山描いて下さい」

と。

天才、手塚治虫の誕生の瞬間でした。

お母さんは子供の才能の芽をつまなかったんですね。

「そんな事をしたらダメよ!」とは叱らなかった。

それから、大人になった手塚治虫さんは医者をやりながら、漫画家としても月間の連載を6本抱えていました。

とても忙しかったんです。

ある時、お母さんに相談しました。

「医者と漫画家を両立するのは難しいんだ。どっちを選んだ方がいいと思う?お母さんの意見を聞きたいんだ。」

と手塚治虫さんは言いました。

お母さんの答えは

「あなたはどちらがやりたいの?」

でした。

手塚治虫さんは

「僕はね、世の中に医者は沢山いると思う。

でも、漫画家という職業の人はあんまりいないんだ。

僕は漫画家で生きていきたいと思う」

と言いました。

お母さんはこう言いました。

「あなたのやりたい事をやりなさい。

お母さんはね、ずーっとあなたの味方で、

一生涯あなたを応援し続けます」

と言いました。

お母さんはいつでも、自分の意見として「こうした方がいい」とは言わなかったんですね。

あなたはどちらをやりたいの?それをお母さんは応援するわと。

子供を自分の所有物ではなく、一人の人間として尊重していたからこそ、言えたことだなーと僕は思っています。

なかなか、出来る事ではありません。ついつい、自分の方向性を押し付けたくなってしまいますよね。

僕も手塚治虫さんのお母さんのように、子供の可能性を潰さないように気をつけます。

我が子を信じています。

子供はお母さんを大好きで、「あの人の子供として生まれたい」と自ら選択して生まれてきました。

子供の最初の選択は、お母さんを選んだということです。

お母さんも子供も、その事を忘れているだけです。

前世記憶を研究している方はその事実を知っています。

普通はね、アレダメ、コレダメと色んな事を注意することをシツケだと思ってしまいます。

立派な人に育てなくちゃ!って思うあまり、そうなってしまうんですね。

子供のあら探しをして、いちいちダメな所を注意してしまうんです。

そうすると、子供は他人のダメな所を見る目を養ってしまうのです。

他人に対して、そういう見方をするのが当り前だと思ってしまいます。

そうやって育った子は大人になっても、他人や世の中の至らない所ばかりが見えてしまって、

傾向として、ネガティブで批判的になってしまいますよね。

その連鎖を止めるには、どうすればいいのかなーと僕は思っていましたから、

自分の子育ては、そうならないようにしようと思って夫婦で話し合いました。

手塚治虫さんのお母さんのように育てようねって。

なかなか、難しいですが。ついつい、ダメ!って言ってしまいます。

父親はそんなに子供に影響がないようですが、母親は子供にとっては大きな影響を与えるようです。

世の中の父親は、母親にあまりストレスがかからないようにしましょうね(笑)

動物学的には、父親は母親の精神的安定を支える為に存在しています。

妊娠中と出産後、合計約3年間の生活を守ってもらう為に男がいると言われています。

男はその後も捨てられないように頑張りましょう。

ありがとうございました!