新年になって、2021年は自分の中で大切な年になりそうです。
多分、多くの人にとってそれが同様に起こっているような気がしています。

神様に会いたい気持ちが高まっている年というか、そういう目に見えない世界が必要な感じがしています。

道志村にも多くの祠、神社、お寺があり各地区に点在しています。
道志七里の文献を読んでみると、「山と民俗」の項目では自然の脅威に怖れながらも自然の恵みを崇拝するそんな人々が天体山川草木気象などに霊験の拠り所を見つけた様子が伺われます。

自分の住む下善の木の神社に初めてお参りをしたのですが、大きな杉やもみの木が林立する社はその場所自体に神様の存在が感じられるようで、立っているだけで心が洗われる。そんな印象でした。
いつも目にはしていますが、見ているのと実際いくのとはこうも違うものだと改めて実感できました。

時を別にして、富士吉田の新屋山神社に行った後、浅間神社にもお参り。

新屋山神社は商売繁盛、金運アップの神社らしいです。

浅間神社は流石大御所!と言った感じで、入った途端に圧倒されました。
すぐ側では、屋台のイカ焼きの香りがぷんぷんして俗世も入り込んでいますが、そんなものはものともしないなんでも受け入れている感じで、清濁一体感を醸し出しています。
境内では、グッツ販売も凄かったですがとにかく、そういうものがあっても神社としての威厳があり、これはこれで村の小さな神様とは全く異なる趣があります。

許容量の違いというか、役割が違うと言った感じでしょうか?

どの神社のどの場所にもそれぞれ守っているものや受け入れているものがあって、そういう存在が日本にたくさんある事が宝であるように思います。