Rawcalsのコンセプトは「ありのままの日常」。しかし、「ありのまま」に語られない、公開されない日常もある。
そう、それは村長選挙に関すること。ただし、道志村に住んでいれば、村長選挙の動向に無縁でいられることは少なくない。投票率が95%を越える、村の一大事。多くの村民はその動向を注視せずにいられない。なぜか。
村では村長の意向が村政の方向性を決定づける。誰が村長かによって、村の将来や公共事業、生活サービスが左右される。強烈に属人的な構造がある。

自分も横浜市に住んでいた時は誰が市長なのか、気にかけることもなかった。市の政策を注視し、あれこれ思いを巡らすこともなかった。政治的な動向に関心がないわけでもないが、そんな状態だった。
ところが、村ではそうもいかない。自分がお世話になっている方、関わっている方がどちらの陣営なのか。自分の行っている仕事を誰が認可してくれたのか。土地、住居、仕事など全ての面で誰かにお世話になっているわけで、そこからむくむくと立ちがってくる、目に見えないが、強力な雰囲気がある。それが、選挙になると、一気に露呈し、奔流となってその渦に巻き込まれてしまう。

移住者の多くは、その状況をよくわかっていて、関わりたくないと言う人も多い。
しかし、移住者でも永住する身となっては、村政の方向性は重要なこと。
それは自分たちの生活に関わってくるからだ。
さらに、ここで暮らし、仕事をする村民にとっては、さらに重要性が高まるのは当然だ。

地方の中山間地では、公共事業の果たす役割が大きい。地方交付税が8割の道志村でも、その財源をどのように使うかは、村民の経済活動にダイレクトに繋がってくる。そもそも、村で自力で稼げるのであれば、交付税は必要ない。ただ、交付税不公布団体は76(令和2年度)しかない。1,724(令和3年7月3日時点)ある自治体の中で10%に満たない。それだけ、地方の経済活動、特に中山間地は厳しい。でも、そこで生きていくためには仕事が必要だ。その状況は田舎に行けば行くほど、過酷になる。

このような背景があり、村政の方向性が生活する人々にとって重要な指標になる。
7月4日の村長選挙では、現職の長田富也氏と新人で元総務課長の諏訪本栄さんが一騎討ちとなる。
村で暮らしていると、いずれの方にもお世話になることが多いが、二者択一で決めなければならない。
その点が悩ましいが、自分はまず両者のマニフェストをよく読み、現職村長については2期8年の動向(何を目指し、何をなしとげたのか)を注視し、新人については、未来への方向性に関する話をしっかり聞いた上で、判断する。

様々な関係性はあるが、選挙はしがらみから一歩引いた目線で、客観的に捉えたい。
両候補者のマニフェストが掲載された選挙公報はがきを冒頭にアップしました。