今週のティペラスクール。

私の働く幼稚園は小学校と併設されている。朝出勤すると子どもも先生も一様にオレンジ色のシャツを着ていた。


今、カナダ全土に広がる悲しみと怒り。

レジデンシャルスクールの跡地から200名を超える子ども達の遺体が発見されたニュースは私の住むファーストネーションの集落、職場、コミュニティに沈黙の深い繋がりを生み出している。その繋がりを態度で表すべく人々はオレンジ色のシャツを着ている。


三世代以上にわたり、カナダ先住民、ファーストネーションの小さい子ども達が両親から引き離され、遠く離れた寄宿学校に閉じ込められて、文化、アイデンティティ、両親との繋がりを奪われた事実。レジデンシャルスクールサバイバーと呼ばれる50代以上の人々のみならず、トラウマを抱えた両親に育てられた、レジデンシャルスクールに通わなかった世代にさえ引き継がれ、世代を超えたジェネレーショントラウマとして深く根づいている。コミュニティにおける全ての問題の根源はレジデンシャルスクールに行き着く。


あまりにも酷いそのカナダの歴史は、歴史というにはまだ新しいすぎる記憶である。私の両親と同年代のティペラスクールの同僚であるカールさんとフランさんはもちろん、私と同い年のコミュニティメンバーでさえレジデンシャルスクールで受けたトラウマを抱えている。


感情は私の子ども。

悲しみも、怒りも、憤りも、なかった事にして見ないふりをしたり、どこかに押し込めたりするべきではない。

火山はその熱を内に保つ事が出来ないように、感情も時を得て吹き出すのが自然の理である。さもなくばその熱で自分を焦がす事になる。


しかし、レジデンシャルスクールで見た、受けたトラウマはあまりにもおぞましく、口に出して言うことが出来ずに胸にしまい込んだままの人達がたくさんいる。今回の遺体の発見は、そうした人達の背中を押して、思い出したくない記憶について話す機会を与える事になった。


私の大切な人達が話してくれたその力が、私にこの文章を書かせている。


前世の記憶、いや前世さえ信じない人がいる事は知っている。洋二郎くんがそうだからだ。しかし、私には前世の記憶らしい感覚があるのだ。それはレジデンシャルスクールのサバイバー達の記憶に符合する。人は経験のない事は信じられないものだが、私にとっては経験としてすぐ信じられた事。それがこのパンデミックの世界を理解するのに大変役に立った。

たどっていけば全ては繋がっている。


一国の王室のトップが、カナダ紙幣の顔にもなっているその人が、レジデンシャルスクールを訪れて、彼らとピクニックに行った子ども達が帰ってこなかった事、その帰ってこなかった友達の名前さえ覚えているサバイバーも、殺されかけ、それでも見た事を伝えている事…。


私の前世の記憶に基づいて調べた事実を、今目の前で友人から聞く時、真実の重さ。それを公然と言えないできたその人達の人生の重さに言葉を失った。

感情は私の子ども。

いま、大人になり、レジデンシャルスクールの子ども達が得る事が出来なかった幸せな毎日から充分にエネルギーを蓄えた私達は、自分の感情と、感情をひき起こした出来事に向き合う準備ができたのではないだろうか?いつまでも見ぬふりは出来ない。溜まったエネルギーは今、噴出する時を得た。