ビッグママ(雷鳥)の襲撃をかわし、山火事の煙エリアを抜け、目指すは一路graveyard-cabin 墓場キャビン

それにしてもなぜ、そんなたいそうな名前がついたのだろうかと思わずにはいられない。ペダルを漕ぎながら考えた。ここはゴールドラッシュの頃、鉱山を求めて山奥へ、北へと枝葉を広げるように開拓してきた人々の足跡が多くみられる。その時代を思わせる、朽ち果てる寸前のようなキャビンが要所要所に見られるのだ。その人達の墓場があったのだろうか?故郷を遠く離れた知らない場所で最後を遂げた人々の…?

親族だってやすやす来れる場所ではない。墓参りに線香をたいたら喜ぶだろう。

金鉱掘りだけでない、ここはファーストネーションの人々の狩猟場だったと聞いた。

何かもっと大きな墓場なのではないかとうすうす感じていた。

急な登りをひたすら3時間登ると、高低差のあまりない、登り下りの折り混ざったなだらかな森の道になり、森を抜けるとそこには尾瀬ヶ原や、北アルプスの雲の平を思わせる草原が広がっていた。

しかし空に近い金色の草原には、拍子抜けするほど墓場の暗い雰囲気はなかった。

ひん曲がった家に乗っかったやや傾いた屋根は、雑草をわんさかのせてふさふさと輝いている。温かな明るい感じさえする、その名も墓場小屋には、心臓に毛が生えた人々が泊まった跡が見られた。横では洋二郎が、前回一人で来た時は心細かったなあと、つぶやいている。古屋の中は怖いから見ない方が良いよ。と忠告してくれたけど、覗いてみたら、まさに地元のミュージアムにあった開拓時代の古屋。そしてなぜか場違いな、陽気な感じのキャンピングチェアーがポツリと置いてあった。

ファーストネーションの人達が使う線香はセージの葉を乾かして粉状にしたもので、スマッジという。職場では毎朝、アワビの貝殻の上に、その緑の粉を小さく山盛りにして煙をおこして、自分自身と保育園の教室を清めている。貝までは持って来なかったので、ちょうど古屋の前に転がっていた錆びたコーンビーフの缶を使う事にした。


洋二郎君がフト、ファーストネーションの友達から聞いたという話しがあると言った。その昔、この辺りに住むチョーコートン族が、私達の住むエリアのリトゥエット族の人々を奴隷狩りでさらって行った。狩から村に帰ってきた若い兄弟の戦士はその事に気付き、仲間のシャーマンと気付かれないように後を追った。


リトゥエット族の人々を連れたチョーコートン族がグレーブヤードの辺りに着いた頃、追いついたシャーマンは真夏の日中に猛吹雪を起こし、チョーコートンの族は奴隷としたリルエットの人々と急遽野営することになった。夜明け前、リルエットの戦士兄弟はチョーコートン族を闇討ちにして、囚われた人々を救ったそうだ。


それを聞いて思い出したのが、数年前にファーストネーションの同僚に聞いた”最後の戦い”だ。彼女によると、チョーコートンの山のどこかで、チョーコートン族とリトゥエット族の最後の戦いがあり、たくさんの人が死んだ。両部族は長い年月いがみ合い、近年までイザコザが絶えなかった。


平和調停が結ばれ、記念碑を設置したのは1980年代に入ってから。その日は両部族の人々がそこに集ったらしい。(エルダーはヘコプターで、元気な人は馬や歩いて)


チョーコートンと聞いて、どこか知りたくなったが、彼女は場所は知らないという。ちょうどその頃会社に加わった、ハンティングをする新しい同僚にも聞いてみたが、知らなかった。


墓場でのキャンプは流石に気が引けたので、もう少し先まで頑張って、朝から8時間漕ぎ続けて私の目がガチャピンの目のように半分閉じてきた頃に現れた、川沿いのこじんまりした草原にテントを張った。

夕食を済まして地図を広げると、graveyard のすぐ側に、ヒストリカルサイトのマークがある。地図を隅から隅まで眺めたが、このマークが使われているのはここだけ。歴史的建造物だなんて、こんな山奥にあるならそれしかないではないか??と二人で納得した。


翌朝は晴天の下、次のキャンプ地を目指す。本日は峠越え、渡渉を繰り返す。年によっては、膝辺りまで水位と水量がある川を、自転車が流されそうになりながら渡るのはなかなかスリリングであったし、まだ残雪が残っている時などは川の冷たさが身に染みて痛かった事もある。しかし今年はありがたい事に水量もそこそこ、水浴びが嬉しいほどの暑さだったため、気持ちよく終日ずぶ濡れでいられた。それでも沼地をズブぐちょ〜っと行った時ははなんとも言えない気分であったが…。

二日目のハイライトは洋二郎いわく”はじめ人間ギャートルズ”の世界。氷河が溶けて辺りを水浸しにしながら後退し、川はだんだん細くなり、ようやくまわりに少しずつ植物が産毛のように生えてきたところ。そんな生まれたての、原始の地球を思わせる光景が広がる。アラスカやシベリアの極地に似た景色が、ある意味ご近所に広がっていたなんて、なかなか感慨深かった。

気持ちよくずぶ濡れでいたら、今度は上から雨も降ってきて、途端に寒くなった。午後から雲が多くなったが、天気がもってくれてありがたかった。キャンプ場でそそくさとご飯を食べてテントにこもっていたら、7時ごろ、ハローと外から声がかかる。横では洋二郎君が寝袋の中でもううとうとしていた。山岳部出身としては一日の行動は3時くらいには終わらせたいところだが、カナダ人は平気で夕暮れまで行動する。テントから二つ頭を出して、ハローの主とおしゃべりしたところによると、ここから2キロ手前(数時間前に私達も通ったところ)にデカイヒグマがいたという。そういえば今日は本気で森の中に何かの気配を感じていた。道すがら見てきた熊のフンも、今日最後に見たのはかなり大グマのものだった。そんなグリズリーカントリーでの二日目の夜、なんだか眠れなくて洋二郎君が持って来た文庫本の半分を読ませてもらう。表紙はダクトテープ(カナダ版超強力ガムテープ)で覆われてタイトルさえ見えない。その本体にくっついてるのは本の前半で、後半は取り外しが出来る事になってしまっている。「宇宙船とカヌー」。以前読んだ時はふーんという感じだったが、天の川がくっきり見える、宇宙に近いこの場所で、今この時代に読むと、登場人物の父と子が、いかに時代の申し子であったかと思った。

アメリカの宇宙開拓全盛期を引っ張った超天才宇宙物理学者は、天才に必須である直感に基づき、人類は火星に移住すると確信し、計画に必要な宇宙船開発に携わる。一方エリート学者の息子は反戦ヒッピーのカヌーイスト。

雨が多い北太平洋沿岸でウールセーターをもう一枚の皮膚のように着こなし、バンクーバー郊外のツリーハウスをネグラに自家製カヌーを操り、アラスカまでの海岸線を旅する。

人類が火星に移住…宇宙船とカヌー、私にとってはタイムリーな本。洋二郎君にとっては高校時代から数十回目に読む本。

明日はようやく山から脱出する日である。