読んだことがある人も多いでしょう。
ネバーエンディングストーリーの原作「はてしない物語」を書いた、ミヒャエル・エンデの傑作「モモ」。
モモというホームレスの少女が、古い劇場に住み着きます。
親のいない幼いモモを周りの人達が交代で世話をして育てていくのです。
皆んなから愛されているモモ。
そのうち、世話をしている大人たちは、悩みがあると幼いモモのところに相談をしにいくようになりました。
モモはただ話を聞いているだけです。
何か言うわけでもなく、何をするというのでもありません。
しかし、相談した者は問題解決の糸口を見つけていくのでした。
「傾聴」のスキルです。
それはアメリカの心理学者カール・ロジャースが目指したカウンセリング技法。
こうしろああしろと指示はせず、ただ聞いたことを繰り返し、
クライアント自らが、自己と対話をして解決法に気付いていくというもの。
モモはこの「傾聴」の達人でした。
「モモに話を聞いてもらっていると、ばかな人にもきゅうにまともな考えがうかんできます。
モモがそういう考えを引き出すようなことを言ったり質問したりした、というわけではないのです。
彼女はただじっとすわって、注意ぶかく聞いているだけです。
その大きな黒い目は、あいてをじっと見つめています。
するとあいてには、じぶんのどこにそんなものがひそんでいたかとおどろくような考えが、
すうっとうかびあがってくるのです」
モモはまるであわせ鏡のようでした。
相手は話をしているうちに自分の問題点が全部見えてきて、
「そうか、ここがいけなかった」と発見するんですね。
まさに傾聴スキル。
カウンセリングの完成型。
気持ちよく話させて、自らのうちに答えを発見させるのです。
普通の人が友人の悩みを聞いていると、だんだん自分も当事者のような気持ちになってきて、
悲しんだり苛立ったりしてきます。
「何てひどいの!許せないわね!」とか。
そうやって相手に同調するとどうなるか。
ネガティブなエネルギーに引き込まれてしまうんですね。
すると自分までも具合が悪くなったり、嫌な現実がやってきたりするんです。
そういう連鎖だらけです。人の世は。
いい人なのに、相手に同情してしまって損をしている人、いませんか?
カウンセリングのお部屋にはキレイな絵や植物を置いて、
話を聞きながら、心はいつも爽やかでいる必要があるんです。
そうすると、こちらのプラスのエネルギーが相手に入っていって、
相手は自らのうちに、答えを発見出来るんです。
それが根本的な解決法です。モモがしていたのはそういう事です。
モモは常日頃から美しい自然と繋がっていました。
だからいつも心はキレイでした。
キレイな鏡だったから、モモに話を聞いて貰っただけで沢山の人が救われていったのです。
さて、著者のミヒャエル・エンデはルドルフ・シュタイナーに傾倒していました。
モモがやっていたことは、実はシュタイナーのチャクラ活性化の秘技なのであります。
モモは自然の音を聴きます。
木々の揺れる音、雨、カナリア、猫、犬、ヒキガエル、コオロギなどの自然界の音や鳴き声に耳を傾け、
そして大自然に共感して、一体化するんです。
自然界の倍音の響きはチャクラを活性化する働きがありますからね。
ミヒャエル・エンデもきっと実践していたのでしょう。
医学者、角田忠信教授は「日本人の脳」の中で、僕たち日本人の脳は非常に特殊だと論じています。
日本人は虫の音や風鈴の音を、
「風流だなぁ、夏らしいなぁ」と感情を伴って聞くことが出来るが、
外国ではそれらの音は雑音として耳に入るので意識する事も少ないそうです。
角田教授は、これは母音を主体とする言語(日本語・ポリネシア語)と、
子音を主体とする言語(英語等)で脳の中での音の処理に違いがあるからだと指摘しています。
てことは、モモは日本人だったのかな?とか思いました。黒い瞳だし。
まあ、どこの国の生まれでも、ミヒャエル・エンデやシュタイナーの様に、
気付いたその時から、変わっていけますね。
日本には昔から言霊という概念があります。
万葉集や古今和歌集、新古今和歌集など、言葉に宿っている気を、
自由自在に表現できる歌人たちによって詠われました。
現代人は戦後、あまり日本古来の文化に目を向けなくなりましたが、本当は素晴らしい日本の文化。再注目ですね。
春過ぎて夏来向へばあしひきの
山呼び響めさ夜中に
鳴く霍公鳥初声を聞けばなつかし
あやめぐさ花橘を貫き交へ
かづらくまでに里響め
鳴き渡れどもなほし偲はゆ
大伴家持(おおとものやかもち)
ありがとうございました!