いやね、今日もまともじゃない話ですよ。

のるかそるか、でなくて「マルかヒラか」というわけのわからない話をします。

まあ、僕のイカレ具合は毎度の事ですけどね。

最近よく考えているのが、この世はバーチャルリアリティなんだろうなということです。

つまり、その人が何を信じているか?によって、1人1人の見ている世界が全く違うということです。

僕たちは一人ひとりが映写機なんですよ。

そして、見たい現実を映し出して、体験するわけです。

例えば。

ある人は地球は球体だと信じている。地動説。

でも、別のある人は地球は平面だと信じている。天動説。

ガリレオ以前も、ガリレオ以降も全く変わらない事は、

対極にいる人同士は、「絶対に自分達が正しい。あいつらは間違えている」と思っていることです。

地球が平面だなんてあるわけがない!と。

僕もどっちか選べと言われれば、地球は丸い方を選びますけど。

まあ、そういう議論になった場合。

人はついつい、どっちが正しいかという物差しで判断しがちですよね。

ですが、実はどっちも正しいと思います。

現実はその人が映し出しているから。

僕が見ている現実は、他の人とは一致しないこともあるということです。

そのことに多くの人が気が付いたら、
争いは減りますよね。

民衆は分断されなくなりますよね。

違う考え、違う他者を認めること。

それは、そもそも他者は、自分とは違うんだという前提を認めることです。

この動画を見てそう思いました。↓

フラットアース説を信じている人は、こういう現実にいるんだなと。

雲が太陽の後ろに行くなんて、僕の現実ではあり得ません。

密度の問題で、雲が太陽の後ろにあるように見えるという錯覚かなと僕だったら思います。

けど、それと同じ確率で確かにフラットアースだったとしても、こう見えるはずです。

太陽は一番奥にあるのではなく、地球の近くに小さくあるという考えでしょうから。

なので、五分五分だと思います。

そのくらい、人間はまだ何もわかっていないかもしれません。可能性の話ですよ。

今出来ることは、自分の見解を過信しないように気を付けることしかないと思います。

真実は一つ、じゃなくて、人の数、映写機の数だけあるかもしれません。

そういう思考の柔軟性が「和」に繋がると思いました。

どっちか選択しろ!と言われたら、選択しますけどね。

それでも、強要はすべきでないし、他人がどんな選択をしても僕は尊重したいと思います。

ありがとうございました!