探検部を卒業し、職業として探検家を実践する人は、数少ない。
角幡さんは探検部時代の先輩。幹事長として部を率いる背中を見て育った。
何度か山行に同行させてもらったが、並外れた体力、身体能力、知力、時々垣間見せる変態的個性と、その存在感は異彩を放っていた。

「空白の五マイル」は、2010年に発表された最初の探検紀行。
チベット、ヒマラヤ山中の奥深くにあるツァンポー渓谷という秘境は、その場所や地理、最深部にあると言い伝えのある、幻の大滝まで謎に包まれ、18世紀から世界の探検家を魅了してきた。
角幡さんは現役の時から、この「幽霊谷」の探索をテーマに活動を行なっていた。
部室で遠征の詳細を聞いていた頃が懐かしい。

そのツァンポー渓谷への単独行の様子が本書で紹介されている。特に第二部の「脱出行」はみなぎる緊張感が字間から溢れ出すよう。現地ポーターとの駆け引きから、幻の滝の手前に立ちはだかる切り立った岸壁(オーバーハング)の存在、残り少ない食料、刻一刻と限界に近づいてく体力・・・。
今でも読み返す度に、引き込まれてしまう。

先日、グリーンランドから犬橇で氷床をまたいで、カナダへ向かう北極圏への旅を開始するも、コロナ禍によりカナダ政府が入国規制を行い、国境直前で断念、帰国したばかりだ。

朝日新聞の記事として本人も書いているが、非日常を体験するために極北へ向かっているのに、自分が荒野を犬と移動している間に、世界の日常が逆転して非日常になってしまった。
空と氷が支配する極地で単独で過ごす自分の存在が、一転して「世界で一番安全な場所」にいる人物へと変化する不条理。
帰国し、コロナ後の世界に追いつくのがたまらなく憂鬱だと言っているが、それはそうだろう。
ソーシャルディスタンスやマスク着用など日常的な行動変容だけでなく、探検家として非日常を自ら体験し、その軌跡を世界に提供する根源的な価値が揺さぶられつつあることも、その憂鬱の一端ではないかと憶測してしまう。

だからこそ、アフター、ウィズコロナ後の世界に、角幡さんがどのように非日常を発信していくのか、興味がある。年内に「結婚」と「冒険」の考察に関するエッセイを出版するようで、角幡さんの描く日常的非日常、非日常的日常の狭間にある世界がきっと深みを増すのだろう。

笑ってしまったのは、ツイッターで発信されている次の投稿。

帰国時の感染予防について妻からの助言。
「物に触れて手で顔に触れるのが危険。あなたの場合はとにかく鼻糞をほじらないようにすること。自分では気づいてないかもしれないけど、あなたは無意識に、おそらく想像をはるかに超える頻度で鼻糞をほじってる」
知らなかった…。
https://twitter.com/kakuhatayusuke/status/1262855797601599488?s=20

冒頭にある「変態的個性」をほのめかしていると思う。
部室で角幡さんに会って挨拶すると、無言でじっと自分の顔を見つめ、次の瞬間、放屁するという、究極の挨拶(?)に何度か遭遇した。しかも、放屁した後、何事もなかったように無言なので、自分の持つ常識や観念はまだまだ狭いと、脂汗をぬぐいながら痛感したものだ。

人間界離れた54日間、一変していた世界 角幡唯介さん:朝日新聞デジタル
■探検家・作家 角幡唯介さん寄稿 この冬のグリーンランド北部はじつによく冷えこんだ。近年は凍らないこともあるカナダ・エルズミア島との間の海峡は1月上旬の時点で結氷し、その後も氷点下30度以下の日がつづ…