宇宙人がいるかいないか?を考えるよりも、
「どうして宇宙人は地球人に姿を見せないのか?」
を考える方が、高度で面白いと僕は思います。
ハナからそんなものいないと言ってしまえば、そこで思考は終了。その先の広がりは断たれます。
なので損得勘定で考えても、宇宙人がいるという前提に立った方が、頭を柔軟にし続けていけるのではないでしょうか。
僕は損得勘定で動く人間ではないですが、
子供の頃から「どっちの考え方がより脳にとって良いか?」という視点で物事を解釈してきました。
物理学者エンリコ・フェルミが提唱した、フェルミのパラドックスというのがあります。
「宇宙人は高確率でいるはずのに、見たことないのはなんで?」というパラドックス。
フェルミのように、そちらの側に立ったほうが有意義だと思って生きてきました。
宇宙は今なお膨張中であること、マルチバース理論の多次元世界も含めると、この宇宙の無限のような広さ、
この次元だけでも確認されている惑星や銀河系の多さ、
そして何より地球に僕達人間がいること。
その事実を見ても、
宇宙人は他に「絶対にいない」と考えるよりも、「普通にいる」と考える方が確率が高いだろうと、僕は少年の頃から思っていたわけです。
しかし、宇宙人なんかいないというのが常識でした。
子供の頃の僕は「宇宙人なんかいない」と考える人と「宇宙人はどうして人間に姿を現さないのか」を考える人では、
大人になった時に、柔軟性に大きな差が生じているだろうなと思いました。
そしていま現在。
僕はどう思っているかというと。
宇宙人はいる。
地球に来ている宇宙人は、人間よりも進化の度合いが高い。
人間を基準にすれば、地球に来れる進化レベルの宇宙人というのは、人間よりも精神性は高く「善」であると思っています。
進化の度合いと精神性は、比例すると考えています。
言い換えれば、魂の輪廻転生数が多いということです。
なので、人間よりも科学技術が進んでいる=人間よりも精神性が高いと考えています。
というのは、僕達人間は人間以外の生物に対しては酷いですよね。
豚や牛や鳥や魚や植物や虫に対しては、悪魔の所業です。
虫にいたっては農薬や殺虫剤で虐殺しても罪悪感も感じませんし、
動物に関しては家畜として、かなりのストレス下で扱っていますし、最近では動物も植物も、人間の都合で遺伝子までいじってしまいます。
そういった人間の他種族に対する接し方を見ていると、宇宙人はそれよりはマシだろうと思うわけです。
何故なら「今現在の僕達が、宇宙人に怯えて生きているということはない」という現実があるからです。
そういった事から、宇宙人は人間よりも善だなと僕は考えています。
しかし、善といってもピンキリでしょう。
人間よりも科学が進んでいて、地球に飛来できる宇宙人は、
人間よりちょっとだけマシな精神性を持っている種族かもしれないし、ものすごーく精神性の高い種族かもしれません。
まあ、色々いるのでしょう。
彼らはどうして姿を見せないの?ということを長年考えて来ましたが、
そのことについて、今の段階で僕が持っている結論は、
彼らから見て、人類の代表のような人達には、姿を見せて既にコミュニケーションを取っている可能性があるだろうなということ。
科学技術に関する情報を与えるのと引き換えに、彼らの欲する何かを与えるというトレードをしているのかもしれません。
それから、宇宙には
「発展途上の種族にはむやみに干渉しない」というルールがあるのだと思います。
宇宙人も地球人も、魂の成長の為にこの世に生を受けてくるのであれば、
野蛮で未開の種族というのも、通過点にしか過ぎないはずです。
そこを意図的に干渉して進化を促そうとしても、なんの意味もない。
だから、地球人が一定の精神性を身につけるまではむやみに姿も現さずに、見守っているしかないのだと僕は考えています。
干渉して良いボーダーラインというのは、地球人として地球を統一できた時。
つまり、人種や言葉の違いを越えて、平和的に人類が国境を撤廃した時だということです。
人類の精神性がそこまで高度になった時、宇宙人達との交流が始まると僕は考えています。
頭おかしい?そうかもしれません(笑)
ただ、宇宙人はどうして姿を現さないの?というフェルミのパラドックスについて、
ずーっと子供の頃から考えて、僕が現時点で考えている答えはそれだという事です。
これからの人生で変わるかもしれませんが。
ありがとうございました!