子ども達と保育園の裏の園庭で遊んでいると、隣の教室から小学生達がドラムを持って外に出てきた。次々にカールさんがおこした焚き火の周りに集まっていく。私の保育園の子ども達は楽しそうに駆け回っている。でも、フト思いたって子ども達用のドラムを机の上に置いてみた。すると、どの子も次々にドラムを手に取り小学生達の輪に加わっていった。

私は一言も声をかけていないのに、子ども達が自発的に参加する様子に驚きながら、既に歌い始まった輪に加わった。

一曲終わると低学年担当の先生が話し始めた。「今から手紙を燃やします。私達が215人の子ども達に宛てて書いた手紙は燃やす事でスピリットの世界に届きます。」と言って先生は手紙を子ども達に手渡した。カールさんはポケットから小銭入れに入ったタバコの葉を取り出して、私達にひとつまみ火にくべるようにいった。タバコの葉っぱを乾燥させたものをカールさんはいつも持ち歩いていて、自然から何か頂く時に感謝を捧げるのに使っている。

それぞれが火に手紙とタバコをくべて、またドラムソングが始まった。ウェルカムソング、マーモットの歌、イーグルの歌、スカチンネーションの歌…そしてウーマンズ・ウォーリヤー。この、ウーマンズ、ウォーリヤーの時私は胸が詰まって泣きそうになった。優しく力強い歌。この歌を歌うときは女性がリードして歌い始めるのが習わしだ。女戦士と言うとなんだものものしいが、本当に優しく、朗らかで力強い、女性性に敬意を表するような歌なのだ。


保育園の子ども達は、輪から離れる事なく最後までみんなと一緒に歌い続けた。普段なら一人二人と輪から離れて駆け出すのに。

一通り歌い終わったらカールさんがみんなに向かって言った。「私達の歌声は天に届いた。」

ドラムの輪は、参加者一人一人と握手をすることで閉じられる。小学生達と保育園の子達合わせて30人くらいが二列になり握手していった。私は一部始終参加した子ども達を大変誇らしく思い、子ども達はきちんと分かっているんだなと思った。

淡々と粛々と、子ども達と先生、カールさんによるドラムセレモニーは行われた。そこには圧倒されるような清清しさがあった。

怒りも、悲しみも、全てが連綿と受け継がれてきたドラムソングの響きに飲み込まれ、空に消えていった。

感情は私達に行動を起こさせるエネルギーとなる。215人の子ども達の遺体が見つかった事への一人一人が抱くさまざまな感情は、みんなで輪になって、いつものドラムソングを歌う事で、天に登っていき、それがなんだか違うエネルギーに切り替わって私達に降り注いできたような感じがした。


そう、感情は雲と同じでどんどん形を変える。でも、何度も何度も湧き起こるパターン化された感情はどこかに結実する事となる。


さて、一週間を終え、この週末もいつものカヤックキャンプにでかけた。

出航直前、カヤックや荷物の箱を持ち上げたらギクリときた。もう数十回と経験しているから知っているがこの痛みはあともう一動作で一週間寝たきりコースになる系の本気な痛みである。


今から漕ぎ出そうって時に困ったぞ。

持ち合わせのホメオパシーと代替医療の知恵知識を使ってどうにかするしかない。


漕ぎ出しながら考えた。まず、腰痛は怒りだ。ここしばらくはハッピーハッピーで、自分が腰痛になるまで怒りを溜め込んでいた事実に驚いたが、

これはそのままのタイトルの本が出ているくらい既成事実でもある。この世の中、はじめに意識があり現象が伴う。誰かがこの机を作ろう。と思ったからここに誰かが作った机が存在するように、身体も自分の意識が作っている。


怒りと腰痛が、筋肉や臓器との関わりにおいてどう関係するかの説明はプロに任せて、私は自分の怒りがどこから来るのか怒りの紐をたどり出した。

行き着いた先は権力を持つものへの怒りであった。国王やら、国の政治を司るものは、人々を守るべきであるという心情が、全く真逆の今の世の中に対して、しょうがない。そんなもんだと頭では理解してても、体は正直であった。

なんだ、そうだったんだ〜。しかし、オノヨーコが、ジョンを失った悲しみを、攻撃してくる相手や、怒りを、抱く相手に対して感謝する事で乗り越えた事を思い出した。感謝にかえる…?

ひどい権力者に?

うーむ。でも、腰痛を治めてカヤックキャンプを楽しく過ごすために必死で考えた。このブログに私の経験としてネタにするためにも考えた。


そうか…では、権力者の皆さん、とことん酷い有様を見せてくれてありがとう。

一人一人がリーダーになる世の中、オーソリティに任せてたら安泰だという時代は終わったんだという事に気づくまで、とことん見せてくれてありがとう。


そんな事を思いながら海峡を超え、はじめの島に上陸した頃には痛みは消えていた。

その晩野口整体をテント場で行ったらさらに改善。翌日活元運動のオンラインの会にでたら全く痛くなくなった。


自分の身体、病気、死に対する不安が病院に頼る構造を作り出している。野口晴哉先生が残してくれた野口整体は、自分が自分を整体し、より自分らしく生きるための知恵である。求めれば、私達の周りには先人達が残してくれた今の自分に必要な知恵が用意されている。

ありがたい事にわたしたちは、自分自身が感情をとことん感じ切り、それを求めて行動した時に必ず答えが与えられる世界に生きている。そう信じさえすれば。