こんにちは、山口です。

今まで地元に目を向けることもあまり無かったのですが、そもそも道志村って何が盛んな村なの?何が村を支えているの?って話で、長生きしている家族に聞いたことをまとめました。

戦前より、山梨県内の各地では養蚕業が盛んでした。養蚕業とは蚕(かいこ・蛾の幼虫)を育て、その幼虫がさなぎになる過程で産出する繭を採取し、絹(シルク)を得る職です。道志村も例外ではありません。しかし道志村は山地に囲まれているという地理的事情もあり、一年を通して蚕の養殖にとっては寒すぎる場所でした。なのでどんな季節でも健全に蚕を育てられるようにするために、どの家屋でも火を焚いて建物内の温度を上げていたとされています。ちなみに蚕を育てていたのは、家の階段を上った屋根裏のスペースだったようです。戦後海外との貿易が盛んになり輸入による外国産原料の流入が増えてくると、国内の養蚕業は衰退していきました。

一方で道志村のような緑に囲まれた農村は、場所としての価値を持つようになります。自家用車を購入できるようになった都市部の人々は観光として田舎を訪れるようになります。そして当時、都市部の進学校(高校)は夏休み中の「勉強合宿」を田舎で催していました。夏でも涼しく静かで丸一日学業に意識を注げる環境を求めていたのです。そこに着目した当時の村長は道志村を「学生村」と名付け、受験生が快適に学べる合宿地として誘致したのです。養蚕業から手を引き屋根裏のスペースを持て余していた家は、村からの支援により2階を宿泊部屋として改築し、民宿業として学生の合宿を受け入れました。

村の施策は軌道に乗り、多くの人々が合宿地として道志村を訪れるようになりました。ちなみにその発展には商工会のサポートが欠かせませんでした。一回の合宿で訪れる何百人もの学生を集落内の各宿舎にうまく分散させるための仲介役になったり、「1週間ごとの食事メニューのモデル」を配布して各戸のサービス内容を均一化したのです。今日でこそ個が価値を持つ時代ですが、情報発信の手段も少ない当時だったからこそ地域一丸で頑張っていこうというスタンスだったのですね。

そんな時代も平成に入ると終わりを迎えます。都市部であろうとエアコンがあれば涼しい環境を作れるので、わざわざ田舎で合宿をする必要は無くなりますよね。宿泊者数は減少していきました。多くの民宿が廃業しましたが、「行政に頼らず自力で集客していく!」というハングリー精神旺盛な何件かの民宿は今現在でもその事業を継続するに至っています。今日では民宿というよりは、キャンプ場やコテージのようなレジャー施設が賑わいをみせていますね。業態は変わりつつも、観光業が道志村を支えているという事実は今も昔も変わりません。

僕の実家も昔は民宿、さらにその昔は養蚕業を営んでおりました。

2階は全ての部屋が客室として使われていました。

古いですね。昭和の臭いがします。(平成生まれですが・・・)

時代はどんどん変わっていってますが、これからの道志村はどうなっていくんですかね💡