みなさま、はじめまして。都留市に在住の鹿島 健と申します。

私は2020年8月からこちらに移住してきました。出来たてホヤホヤの移住者となります。

東京では、内閣府というところが実施している「青年国際交流事業」のプログラムコーディネーターをしておりました。

大学生を対象とした国際交流プログラムを作り、彼らの人材育成を考えていました。

その前は、早稲田大学大学院の政治学修士まで行きました。

私のメインフィールドは、政治思想というものです。

うん、これ以上書くとあんまりおもしろくないので、自己紹介はここまでにしたいと思います。

大野航輔との出会い

大野さんとお会いしたのは、2020年8月21日(金)でした。

なぜここまで正確に日付を押さえているかというと、私は都留市の地域再生というプロジェクトで来ておりまして、「人と人を繋ぐ」というテーマで活動していて、「いつ・誰と・どこで・どう出会ったか」を記録しているからです。

地域再生の仕事は、これまでは縁もなかった地域を訪れて、その住民との対話を通して世界観を作る旅、だと思っています。

じゃあ人と人を繋ぐということで、どうやって地域再生をするのかですが・・・

それは後にここでも書くかもしれない、”エネルギー(電力)”に繋がっていくと私は考えています。それだけではもちろんないけれども。

さて、私は8月に大野航輔という人と会って、彼のやっていること、その背景にある思想に惚れました。そして、私は一つ思ったことがあります。

彼が道志村で、色々と課題を抱えながらもやっているプロジェクト、世界観は本当に凄い。
そして、こういう人が地域の中で困難を抱えて、彼の中にある魂・火が消えてしまうようなことは絶対に見たくない。
地域再生の仕事、世界観を作ることは、孤独な作業だと思います。なぜなら、その世界観はまだ見えていないし、信じられてもいないから。
変人だと思われるし、下手すると詐欺だと言われるかもしれない。
そんな中でも、本質を見据えて、一つの世界を未来のために育もうとする姿勢は、絶対に絶やしたくない。大野さんを助けたい。

だから”わたしは何ができるのか”を考えました。共鳴・共振したわけですね。

そう、私は大野さんに会う前からひたすら色々な人と会ってきました。

それはそれは不安な旅だったわけです。

それでなんとか、大野さんに出会えたことが、自分にとっては地域で活動できる活力になりました。

だから、もっと大野さんのやっていることに潜りたいと思い「大野さん、何が私にできるかな。体は動かせるよ」と言いました。

最初、私は林業の伐採とか、そういうことができるような気がしていて、山の整備とか出来ちゃうかもなぁ、やったなぁなんて思っていたんですね。

そしたら何と、私がやることになったのは「測量」でした。

測量の旅へ

林業と測量が全く頭の中で繋がらなかったわけです。

しかも、この測量というものに大野さんはだいぶ苦しめられていたらしい。

私は役に立てるのかわからず、とりあえず一緒に大野さんが入っている道志の山に入りました。

私はとてもワクワクしていたわけです。初めての林業の世界に行くわけですから。

山の急斜面を上り下りする日々

はい、もうこれです。

測量は2人で行いますが、A地点とB地点に立って、赤外線かレーダーみたいなものでお互いの距離とか高低差を図って記録していく作業なんですね。

つまり、

・A地点とB地点に配置

・測量(レーザー発射)

・機材に記録データが入る

・A地点の人はB地点に移動

・B地点の人は次のポイントに移動

・配置したら測量

これをひたすら繰り返すわけです。この「移動」というのがですね、急斜面なところがけっこうあるんですね。

いやもう、これがシャレにならない急斜面でしてね。

しかも大野さんは、この測量作業に手こずり、一度も正確な測量ができていないとのことでして。

皆さん、考えても見てください。

クソきつい傾斜を上り下りして、ぐるっと伐採地域の外周を周るわけです。

そしてゴールまでたどり着いて、データの正確性を図るためにプログラムにデータを打ち込む。

結果を見ます。そして不合格。

だからもう一回測量をし直す。もう一周、外周を歩く。

急斜面を上り下り。

これを私が来る前から何回も繰り返してきたわけです。

これは心折れるよ・・・

これは心折れるよ。しかも大野さん、人に頼ることが苦手な人なんですよね。

だから、遠慮してしまう。

「鹿島くんいないときに、僕のできる範囲でやっておくから」

なーんて言われるんですね。いや、絶対にダメだよと。

1人でこの測量やったら、心折れるよ。

だから私は言いました。

「大野さん、いいですか。私がいる間は、一人で測量することを禁止します」

そうやって1人測量禁止令を出しまして、2人で測量に勤しみました。

高圧電線の問題か、機材の初期値が問題か?

この測量というものは、機材で測定しているので、測定値自体はおかしくないはずなんですね。

私はこうやって論理的に物事を辿ったりすることが、役所や大学院で訓練されてきたので、慣れていました。あと、多少の機材知識みたいなものもあったので、そこで色々と考えました。

そして色々と試していくと、何やらいつも”一定”でずれていく痕跡が見えたのです。

その”一定”にずれる原因は、位置関係などは関係ないということだから、障害物とかそういう外的要因ではない可能性が高いな、と思いました。

であれば、大野さんのいう「高圧電線」が影響を及ぼしているとは考えにくい。

おそらく機材のスタート値で修正値が入っているのではないか、ということを考えました。

こうやって書くと、何だか単純なことのように思えますよね。笑

でもね、これを現場で汗かきながらやってると、頭がボウっとしてくるのです。笑

そしてミスが起きるので、落ち着いて一つ一つを積み重ねていくために、お互いに声掛けして、落ち着きながら一つひとつを積み重ねていきました。

そしたらやっと、機材がちゃんと稼働し始めたんですね。

これにてようやく、機材が正常に稼働し始めて、測量の”スタートライン”に立つことができました。

作業が終わったら、大野さん宅で焚き火を囲む

測量という”山の上り下り”を行い、ようやく測量の正確性も出てきました。

今日はここまで、ということで安堵の中で、祝杯をあげるため大野さん宅へ。

ここで焚き火を囲みながら、語らう時間です。

僕は率直に思いました。

「大野さんは、なんでこんなにキツイことをしたいと思うの?」と。

大野さんも言っていますが、林業は大して金にならない。さらに身体労働なので、キツイ仕事です。

それでもやりたい理由は何なんだろうと思いました。

そこで大野さんを見ていると感じるのは、このヒトは本当に森や自然が好きなのだな、という雰囲気です。

もう測量などを一人でやっていて、山に行くこと自体がある種の精神的苦痛になっていたわけですが、それでも山に行くと心安らいでいるような姿を何度も僕は見ました。

このヒトは、森に癒やされて、ネイティブアメリカンの絵が書いてあるタバコを気持ちよさそうに吸いながら

「いやー、今日もやりますか」

といって始める。

この姿を見たときに、このヒトは自然を通して何を見ているのだろうと思いました。

自然と人を結び直すのは、なぜ?

株式会社リトルトリーは、「自然と人を結び直す」ということをビジョンに掲げています。

じゃあ逆を言うと、現代社会では人と自然は離れていってしまった存在なのだ、ということなんですね。

何故か。日本の国土の森林面積は7割程度。3分の2は森である国で、なぜ人は自然と離れたのか。

おかしな話です。日本の3分の2と繋がっていないのですから。

私のおじいちゃんはお湯を炊くときに木を燃やして作ります。

お湯が柔らかくなるから、だとのこと。

でも今は「お湯はりを設定します」とかいって、全自動で水ができます。

そう、この”全自動”こそが、人と森の関係性を変えたのかもしれません。

家を作るにしても、お湯を張るにしても、昔は森の存在が不可欠でした。

それがいつの間にか、私たちは自分の手で生み出すのではなく、誰か”企業”というものに依頼をして、そこに”モノ”ができていく。そこで誰が木材を調達して、誰が作成したのかは見えづらいものです。

ですが、一つの作品を作る作業を細かく分業化することによって、その精度は上がっていきました。さらに効率性を求めて、同じものを大量生産するようになりました。

それが今の、似た建物が並び立つ都心の風景です。

先ほど言いました、この日本の森林面積、半分が広葉樹です。自然に日本にあったのは広葉樹だそうです。

ただこの広葉樹、曲がるし、扱いが難しい。個性があるので大量生産に向かないわけです。

大量生産の前提には、材料の均質化が必要です。針葉樹はまっすぐ伸びます。だから加工がしやすいのです。

そして私達は外国産材に目を向けて、日本の3分の2からは目を背けてきました。日本の材木消費の実に7割程度が、外国産材と言われています。

針葉樹の世界、広葉樹の世界

私はこの二項対立的な世界が森林の世界にあることに驚嘆しました。

これ、私たちの社会にも通じているわ、と思ったんですね。

だって、私の人生は広葉樹も広葉樹。予測できないし、曲がりまくっていて、扱いづらい。笑

それに比して、就活生の姿はまさに針葉樹ですよね。

まっすぐ、均質な工業製品のようです。

だから僕は、就活を死ぬほど嫌いだったし、嫌い過ぎて嫌いすぎて、内定取り消しましたし、結局就活したけど何もできなかったんです。

広葉樹(まがる木)が、針葉樹になることは難しかった。

ただ、広葉樹の”曲がり方”は予測が難しいんですね。だから、それぞれの曲がり方を見て、その曲がりに合う仕事や世界を考えなければならない。

それが本当に手間で、効率よくないんですね。

でも、そうしないと、僕たちは生き生きとできないのではないか。

そして、このマッチングにこそITの技術が使われる可能性があるはずではないか。

今、社会は均質化を求めてきます。それは否定しませんが、バランスが悪いと思うのです。

道志村には道志村の曲がり方があるし、それに沿う世界観を作りたいと僕は思います。

それが地域を、あるがままの自然な姿に”再生”することだと思っています。創生するのではなく、その地域にある本質の部分に沿う形で行う。

この地方創生ではなく、地域再生と私が主張しているのは、針葉樹と広葉樹の世界観に影響を受けています。

道志村の世界観を再生する

道志村はどういった世界観を持っているのかを、大野さんは森や自然を通して表現しようとしているのではないでしょうか。

道志村の山は、傾斜地が多いですが、森をどう活用するかは避けて通れません。

であれば、木材の消費地を生み出さないといけないから、バイオマスボイラーを道志の湯に導入したわけです。

そのバイオマスボイラーの燃料を作るために、森に入って伐採をしたり、薪を作ったりします。

道志のあるがままの姿を見てもらうために、マウンテンバイクコースや沢登り(リバーウォーク)ツアーを行います。

平らな土地がいいよなとか、住宅が少ないよなとか、ないものねだりはいくらでも出来るわけです。

私達はそうやって、環境破壊的な行為をして、ほしいものをほしいままに享受してきました。私もそうです。未だにそうかもしれません。

でも、それをやり続けると、土地を犠牲にするし、自分のこれからの世代がこの地域や地球でどうやって生きたいと思いますか。

この問いを、実は森や自然は私達に語りかけてくるわけです。

それを、私は大野さんを通して学びました。

道志村のリトルトリー

あるがままの姿を活かしながら生きていくことは一方で、とても大きな困難を生じます。

効率性を求めたもののほうが、短期的に目に見えるし、豊かさを「今」享受できます。

ただそれは、消費的で継続性のない世界観です。

こういった世界観に対して、大野航輔または彼を取り巻く人々は、道志村の世界観を作り出して、これからの未来に向き合っているのではないでしょうか。

今、困難かもしれないけれど、あるがままの姿を活かした地域は、100年後に強い田舎になると私は信じています。

そして、100年後、私達が死んだ後に、100年前のあの人達は、本当に100年後のワタシたちのことを思っていたんだなって思えたら、泣けませんか?僕は感動するよ。

ただそのためには、今日を生きていくための”太い幹”も必要です。

この太い幹を作るためにも、私は掛け値無しで大野さんをサポートしていきたいなぁと。

そしてふたりともおじいちゃんになったときに、この地域が生き生きとしてて、生命力あふれる地域になってたら、最高じゃないですか。空気も美味しいし、ご飯も美味しいし、水も美味しいし。

そうやって自然と調和していきたいなぁ・・・なんて思います。

とりあえず、今日はここまで!