カナダに嫁いだばかりの頃、体育会系洋二郎部に入部したかのような運動三昧の日々に疲れてくると、運動意外のアクティビティとしてよく訪れたのが、スクーカムチャックの温泉だった。


未舗装の森の道を2時間ガタゴト行った先には、川のすぐそばの木立の中、様々な形の浴槽が散り散りに設置されて湯気が立ち込めていた。10年以上前のことだ。何事もベストなタイミングを選ぶ洋二郎君は、いつも閑散期を狙って行くので、たいてい私達の他に数組しかおらず、神秘的で静かな秘湯スクーカムチャックホットスプリングは私達のお気に入りのキャンプ地であった。


英語でmiddle of nowhere という言葉があるが、カナダに来たばかりの私にとって、温泉のある場所はまさに何もないところに見えた。しかし、近くにあるファーストネーションの集落が温泉を管理していると聞いて、こんな人里離れた山奥に集落があるのかと驚いた。入浴料が村の財源の一つになっているらしい。


温泉まで来るのに一苦労なのに、そこから先に行こうなんて考えた事はなかったが、その数年後、魚釣りにハマった洋二郎君が突然、サーモンの遡上ルートを遡ってドライブしてみよう。と提案してきた。温泉のある場所からさらに何倍もの距離を運転すれば海に出る手筈である。どこまで行けるか冒険心で出発した。


途中スクーカムチャックの温泉を通り過ぎ、さらに数キロ運転すると、なんと白いコンクリートの立派な学校の校舎が見えた。こんな辺鄙な所に突然街中にあるサイズの学校があるのは、なんだか異様な気がしたが、学校があると言う事は、この辺りに本当に人々の集落があるのだと分かった。


温泉の先は今まで走ったことのないほどのダート道だった。途中、曲がり角で大きな穴が見えておらず、タイヤが取られて身体が車内で飛び上がりビックリした。この先に何があるのか、どこまで行けるのかとドキドキしながら進むと、今度は昔の日本の家のようなイメージの、半分壊れているかのような家家が数軒だけある集落が出てきて、当時住んでいたスキーリゾート、ウィスラーとのギャップに驚いた記憶がある。


結局川が湖になる所まできて、湖沿いの道の細さと急な勾配にたじろいで、Uターンギリギリできる道幅の場所で引き返した。


その湖の手前がちょうど今私が働いているティペラ村のある辺りである。


私の家のあるマウントカーリーから、この辺りに住むファーストネーションの集落は全て川に沿っていくつかに分かれて点在している。同じ川に遡ってくる鮭を食料にしてきた部族をまとめて、Stl’atl’imx nationスタトリアムネーションと呼ぶ。全部で11の異なる村々が多少の方言や習慣の違いはあるものの、一つの共通する文化と言語を持ち、物品の交流や親戚付き合いを行なってきた。


昔はこの道を歩いたり、馬に乗ったり、川をカヌーに乗って行き来していたわけだが、車でも数時間かかる距離であるから、同じ部族とはいえ、人々の行き来は楽ではなかったであろう。


スタトリアムネーションで働く私は5月10日は休日だ。職場のボスのひいひいおじいさんがチーフだった頃、スタトリアムの11の部族が政府に対して自分達の土地の権利を宣言し、法的に手続きを踏んだ記念すべき日なのだそうだ。


このスタトリアム宣言の日に合わせて、11の集落を馬や走りで訪ねてまわる、ユニティーランもしくはユニティライドという行事がいつの頃からか始まったらしく、車ががなかった頃の祖先に思いを馳せ、徒歩や乗馬で数日かけて集落を繋げていく。

数年前まではたくさんの若者がリレー形式で自分の区間を走りながら、みんなで行程を繋げて、参加者にユニティ、統一感をもたらすような意義深いう催しが行われていたらしいが、パンデミックで集まりが禁止されて以来、以前のようにオーガナイズがあまりされないまま、有志の人達がその意志を細々とつないでいる感じだ。


去年、同僚のカールさん(スタトエイアムのエルダー)と私は、張り切ってユニティライドを迎える横断幕を子供達と作って学校の壁に張り、子ども達には馬がやってくるよ。と色々話して楽しみに待っていたが、結局彼らがきたのは学校のない翌日の夜だった。


私は出迎えられなかった事を酷く残念に思い、夢にまでみた。

夢の中で私が村にいると、馬に乗った人々の集団が家々の間を疾走して行く。夢の中の私は昔の集落にいるような気持ちで、その疾走するライダー達の集団を興奮の面持ちで見つめていた。


昔の人々もきっと同じように興奮して出迎えたんだろうなあ。


さて、数日前に町役場で地味なユニティランのお知らせをみて、ランナーがやってくる日を覚えてはいたが、去年の教訓もあり、何時に来るかも分からないし。とあまり期待せずに子ども達にも何も話してなかった。


当日の朝、別の集落に住んでる子どもを迎えに行って保育園に帰ってくると、もう他の子ども達はクラスにいた。カールさんが廊下をいそいそ歩きながら、ユニティランナーが来た。ドラムをしに行こう。と言った。


期待していなかった分、よっしゃ!という気持ちになり、「スペシャルゲストを出迎えに太鼓をしに出かけるよ!」と呼びかけて、子ども用のドラムを棚から出して、子ども達に外に行く準備をさせた。


いつもならゆっくりした自由遊びの時間帯の子ども達にとって、避難訓練の号令がかかったかのような唐突な話であったが、みんなちゃんと上着を来てドラムを手に持ち学校の正面に集合した。


学校の前でカールさんに誰を出迎えに行くのか子ども達に説明してくれるよう頼んだ。実のところ私もよく分からなかったので、カールさんの説明を聞いて、スペシャルゲストがなんでスペシャルなのかをようやく理解した。それを踏まえての私なりの要約が、先に述べたユニティランとライドがスタトリアム宣言の日に行われるという話だ。


みんなでドラムを叩いてウェルカムソングを歌いながら歩いて行くと、向こうから他の校舎にいる高学年の子達が手に手にドラムを持ちながら歩いてくる。太鼓を叩きながら彼らと合流して役場に入って行くと、2人のランナーが奥にかしこまった様子で立っていて、ちょうどセレモニーが始まったところであった。

いくつかのドラムソングとスピーチを終えると、ランナーは手にドリームキャッチャーのような飾りのついた杖を持ち、人々が見守る中を走り去っていった。特別な意味合いを込めた羽をスタトリアムの集落にもたらす。という目的があるらしい。

ユニティランナーをドラムを叩きながら見送りながら、昔の人々がはるばるやってきたゲストに対して抱いたであろう感慨深さが込み上げて、胸が熱くなった。ふと見ると、引退間近のモナ先生は涙を浮かべていた。


いいセレモニーだったね。と言って校舎に戻り一日も終わる頃、同僚がカウボーイが来たよ。と言う。⁇と思って外に出ると、カウボーイハットを被り、見事に着古したカウボーイシャツを着たおじいさんが、カールはいるかと聞いてきた。こんなガタガタ道を馬を乗せたトレーラーをトラックでひいてきたらしい。カールさんはもう帰宅した。と言うと残念そうに、「じゃあ戻るだけだ。」といって運転席に戻っていった。


その間子ども達は、トラックの後ろに引かれた馬用トレーラーの隙間から覗く、大きな優しい黒い目を下から見上げていて、私も子ども達と馬の対面を興奮して見つめていた。

カウボーイはスタトリアムの東限であるリルエットから来たと言った。マウントカーリーからこのティペラまでコンディションの良い車で2時間。マウントカーリーから隣町のリルエットまでは舗装路だけど、かなり高所の峠道を越えて2時間。途中2泊して来たらしい。


あまり事態が飲み込めず唖然としている間に、おじいさんは車に乗り込みトレーラーを引いて去っていった。私と子ども達は手を振って精一杯見送った。

保育園が終わり、隣の集落に住む子どもを後ろに乗せて車を走らせていくと、さっきのおじさんが馬にまたがり、おばあさんがその後ろからゆっくりトラックで伴奏運転していた。

車の窓ガラスを下げてSafe travels と言って子どもと手を振ると、おじいさんは手を上げて、馬は高らかにいなないた。


少なくとも私と子どもが目撃者にはなったが、彼がははるばる来て静かに去っていった事が少し心残りであった。


そんな気持ちでいると、去年のユニティライドを出迎えられなかった事も思い出した。


マウントカーリーについたらちょうど、例の去年自分の馬でユニティライドをした近くの村のチーフがいたのでその話をしたら、まあ彼は自分で先にお知らせしなかったんだからしょうがないよ。と言った。


去年私はこのチーフに、せっかく楽しみに待っていたんだから、お知らせしてくれれば良いのに〜。と思った事を思い出して、フト、人はみんなつまるところ自分がしたい事だけしてるんだ。という思いが湧いてきた。チーフも去年自分馬と旅をするタイミングにこの日を選び、おじいさんもそんな感じでやってきたから、本人もまあ仕方ないという感じで去っていった。誰かのためとか、スタトリアムネーションの為というよりむしろ、自分でやると決めたからやっている。という雰囲気があった。

最近私は、子ども達のためと言いながら、結局のところ自分が楽しんで、自分のために仕事しているんだな。と気がついて、なんだか全てが気楽になったことをフト思い出した。

誰かがやるからとか、誰かのためにじゃなくて、自分のためにやること。

広大なスタトリアムネーションの道を、雨の中二人だけで走っていたランナーや、二人のカウボーイのひっそりとした行動を思う時、自分のために楽しんでやっている時、それが自然にみんなのためになるんだなって。そんなふうに思った。