新年明けましておめでとうございます。本年も宜しくお願い致します。

さて、今年もぶっ飛んで行きましょうかね。

ブログ上ではぶっ飛び系ですが、普段の僕はごく普通の常識あるパパです。

リアルでお付き合いのある方、ご心配なく。

せめてブログだけは、イカレポンチで突き進もうと思ってます。

さっそくですが。

2001年 911
2011年 311
2021年 ???

次「6」で何かが来るのかな。。

数秘的にミロク。

とか、新年早々漠然と思ったりしてます(笑)

今年もノンストップでオカルトいきます。

オカルト自然農園宜しく!

ということで、
現在は西洋文明の崩壊中であり、同時に東洋文明の誕生中だと前に書きました。

1995年におぎゃあと産まれた次の新しい精神文明。

今はまだ日の目を見ずに、西洋文明の影響の下で幼少期を過ごしているところですね。

それが順番的には135度に位置する淡路島で興るというのが、ガイア理論です。

神話では、イザナギとイザナミの国産みで最初に誕生したのが淡路島でしたね。

現在は物質文明から精神文明へのシフトの最中。

それは権威的な縦社会から、平等でフラットな横社会へのシフト。

そして男性性から女性性へのシフト。

これから数年間はそれらの変化を実感していき、各々適応していく期間になります。

今起きている変化はまだ、あくまで表面的なものです。

これからは中身まで丸っきり変わります。

旧時代の象徴的な物質はお金でしたね。

だから、お金の価値観は1番大きくシフトしますよ。

表面的なお金の流れはもうすでに変わって来ましたね。

例えば1例ですけど、

ここ数年はテレビで活躍する芸能人よりも、ユーチューバーに多額のお金が流れてますよね。

子供達の将来の夢にも「YouTuber」が出てくる時代。

この動きを大きな視点でみると、

ふむふむ、権力からの脱却が進行してきたなーと見えるわけです。

「組織から個人へのシフト」が如実にあらわれてきたわけですよ。

お金の流れ、そのベクトルの向きが変わったということ。

でも、これは表面的な変化ですね。

表面的ではなく本質的な変化とは何でしょう?

本質的な変化とは、「お金の価値観」の変化です。

これまでお金は多くの人にとって、最も重要なものでしたね。

何をするにもお金、お金、まずお金がいくらかかるか。

お金を沢山稼ぐ事を成功と言った時代でしたね。

幸せになるには、それなりのお金を使う必要があると多くの人が考えていました。

マイホームを持ち、マイカーを持ち、年に1度は旅行に出かける。

それを何となく理想のファミリー像としてしまう30代後半から上の世代。

しかし、若い世代は違っていましたよ。

お金は最低限あればいい。高級品なんかいらない。車も燃費重視。

必要なものは最初から全部ある。物心ついたときからパソコンもケータイも家電も車も何もかもあるという若い世代は、必要以上のお金を求めなくなった。

残業代より自分の時間が欲しい。上司と飲みに行くなんて気を遣うだけだから絶対やだ。

出世なんて面倒なことはしたくない。定時で帰してくれ!

そういう若者が増えてきた。

彼らの感覚は、これからの時代を見る上で非常に重要です。

その感覚を裏付けるように、

金融市場では国債をじゃんじゃん擦りまくり、架空のお金が増え、それが株式市場に流れ、実態と乖離した株高を演出している。

今年はさらなる株高来るんじゃないですか。末期症状です。

つまりこれは、お金の価値の崩壊を暗示しているなと僕には見えます。

若者はお金に価値を見いださなくなり、金融市場の暴走はそれに正当性を与えている。

パズルのピースがわかりやすいほどに揃ってきています。

あとは「どういうプロセスでシフトするのか」という、シナリオの問題だと思って僕は世の中を見ています。

その事に気が付いている人は沢山います。

しかし、もっと大きな視野で見ている人は意外と少ない。世の中いったいどこに向かっていくの?ということが僕の最も興味のあることです。

なので、そこにも言及していくことが、僕の役割だと思うので書いておきます。

目先のお金の価値観の話から、ググッと視点をさらに広げてみましょう。

「人類の進化」という視点。

人間は時間に比例して進化していきます。

それは誰もが知っていること。歴史を見てみればわかることです。野蛮さは段々と影を潜めてきました。

では、その「進化」という言葉の定義は何?

というところが重要です。

進化とは「不自然」ではなく「自然」に近づくことを言います。

つまり、自然の循環に反しない生き方が出来るようになっていくこと、

自然の循環に則して生きるようになっていくことを「進化」といいます。

いきなり100%自然派の生活は無理!ですよね。

だけど、少しずつ自然に寄り添っていく事が人間の進化のバロメーターなのです。

縄文時代は自然に寄り添っていたらしいですよね。その結果、非常に長く続いていた。

というか、その時代のそれは選択肢がない中での強制的な「自然に寄り添う」だったでしょう。

次なる段階は、自然から乖離して欲望を満たしてみて、

それからもう一度、自然に寄り添う事が出来るか?

というように、ワンランク難易度が上がりました。

それは言い換えれば「足し算と引き算」です。

縄文時代からこれまでが足し算。

どんどん豊かさや便利さを手に入れた。経済もどんどん回す必要があった。大量生産大量消費。もっともっとと。

その結果、格差がつきまとい富裕と貧困ができた。まさに男性的な力の時代。

そしてここからは引き算の時代。

断捨離。
経済も最低限だけ回す。ミニマムに。

自然に優しくないなら必要ない。本当に必要なテクノロジーだけを残そう。そして、エコな新技術を開発しよう!というようにシフトしてきた。

また、できる人が無理なくできる事をし、協力しあって社会を営む。女性的な融和の時代。

ここで神様は僕たちにこう問いかけているんじゃないでしょうか?

「さぁ諸君!!1度、物質的な豊かさを知った後で、今度はシンプルな最低限の生活に回帰できますかな?」

と、問いかけられている。

そういうステージなわけですね。非常に精神的なハードルが高いのですこれからは。

そういう大きな転換を試されている時代です。

その転換の中に、目先のお金の価値観の崩壊があるということ。

僕の言いたい事をご理解頂けたでしょうか?

大きな視点でみると、すーはーと吸って吐く呼吸と一緒。

同じ原点に戻るだけ。ただ、行きと帰りとでは情報量が違うのです。

野蛮さを収納し、精神的に洗練され、そしてまた縄文時代のような自然ある生活に戻っていく。そこでの科学技術はエコで無駄がなくものすごく先進的。

それが大きな大きなトレンドです。

田舎暮らしの時代ですよね。
僕たちは先駆者ですよ。

幸せに豊かに生きて、各々、今の立ち位置で時代を牽引しましょうね。

そういう役割を背負っているのが僕たちです。

と、僕は思っているわけです。

新年早々長くなりました。

いつもこんなにフザケたことを、長々と抜かしているブログを読んで下さり、ありがとうございます。

今年も皆さんにご多幸あれ!

ありがとうございました。

体重70キロ 最近はバナナ牛乳にキクキモ粉末を入れて飲んでいます。これスゴい(マジ)